StarDust Tears

『地球外少年少女 前編 「地球外からの使者」』

新宿ピカデリー

 『地球外少年少女』全6話の前半部を2週間限定上映ってことなんですけど、これNetflixでは既に全話公開中なんですよね。私は映像作品に関して大画面とか音響とかの拘りはほとんどない人間なので、Netflixでみてもよかったはずなんですけど(Netflix加入してないけど)、なんで劇場まで行ったのかというと、磯光雄監督作品だからという点に尽きる。

 磯光雄というとエヴァの「使徒を、喰ってる」シーンの作画で有名で、このシーンを描くのに籠もった作画ルームから謎の騒音と振動が漏れてきた、みたいな伝説まである。が、私にとって磯光雄はあくまで『電脳コイル』の監督なので、そんな狂気のスーパーアニメーターみたいなイメージは逆にピンと来ないのだった。その電脳コイルで本田雄と絶縁してしまったが故に(?)エヴァの新劇場版以降には参加していないというようなだが、そのいきさつも知らなかった。

 『電脳コイル』の何が特別だったかって(昔書いたけど)、「電脳メガネ」というガジェットが定着した世界を映像表現のみならず日常生活レベルで演出してみせ、電脳ネイティブ世代の子供たちに対して新技術に適応しきれない大人達といった対照の構図で親子関係を描き、そして何より全26話という長尺を物語がうねり続ける展開が圧巻だった。最初は少年探偵団風のノリで始まり、魔術バトルのような絵面のアクションものになり、学園ラブコメのテイストもちょっとあり、「学校の怪談」的なホラー要素が立ち上がってきて、という風にあくまで本筋は一本のストーリーラインを追いながらも物語のフェーズによってジャンル横断的に展開し、一つの解決が次の謎を呼んで進行していく。特に、電脳メガネの未知の機能が人間の脳の集合無意識の領域にまでアクセスしているのではないか? といった設定は、いかにも子供の間で流行しそうなフォークロア的な怪談を絶妙のバランスでSF的な枠組みに回収しつつ、し切れない部分はオカルト的な解釈の余地も残す匙加減になっている。

 改めてこう書いてみると今作『地球外少年少女』はまさに磯光雄作品として『電脳コイル』の正統的な発展形になっているといえる。特に、AIが自己学習でシンギュラリティを突破し爆発的な知能拡大でその思考過程が人間には理解できなくなった結果「セブンポエム」という一種の予言詩として扱われている描写は、「技術の進歩が人知を超えた領域に入ると人はもはやそれをオカルト的にしか受容できない」という、ちょうど電脳コイルにおける怪談にも通じるテーマとなっている。そして現実にも機械学習によってAIが特定分野における人間の専門家の能力を凌駕しつつある現在、これは実は非常にリアリスティックな描写だとも思う。機械カニバリズムに通じる話。閑話休題。

 もちろん単純に映像的にも、宇宙ステーション設備の描写やウェアラブルを超えて体表が直接インターフェースになったような通信端末「スマート」など、見応えは十分。キャラデザについては電脳コイルよりはっきり今作の吉田健一が好みだなあ。心葉ちゃんかわいい。「主人公の登矢だけは磯監督が出してきた通りに描いた」とコメントしてたけど、それもわかる気がする。

 そして物語も、前編は宇宙ステーションの事故とそれに続くサバイバル劇を中心に描いて全く飽きさせないが、この先はいよいよ過去のAI暴走事件ルナティック・セブンの真相やそもそもの事故原因である彗星と核兵器(?)、ハッカーのテロリスト集団ジョン・ドウとの関わり、ムーンチャイルドの脳に埋め込まれたインプラントの件など、こう並べてみたら解決すべきことが山ほどあるな! 残り3話でどう畳んでいくのか楽しみだ。

 で、第3話まで観たわけだけど続きどうしよう? てのが問題ですよね。後編を劇場で観るにしても来週は別の映画を観なきゃならんからその次の週か。そんなに待てるのか? Netflix で観てしまうか? まあ一回観てハイおしまいって映画でもないから、Netflix で通しで観てから後編をまた劇場で観てもよいかなあ。

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