映画みるのは一日一本にしとけと池波正太郎先生が言うてたが(咀嚼する時間が必要という趣旨だったと思う)、朝一からの二本立てとさらにレイトショーで、三本も観てしまったよ。いわゆるドル(箱)三部作を全部。
『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』
『荒野の用心棒』は、改めてちゃんと観ると、さすがに用心棒が下敷きなだけあって隙のないつくりの映画だと思いました。ていうか私は用心棒より七人の侍派なのでたぶん本家の用心棒よりこっちを観た回数が多い。むしろ『用心棒』をまた観たくなるな。最後の殺陣はオリジナルのネタなわけだしちゃんとその伏線も張ってあって、ついバック・トゥ・ザ・フューチャー3も思い出してしまう(笑。あとテーマ曲はやっぱこれが一番好き。
『夕陽のガンマン』は、なんと言っても帽子を撃って吹き飛ばし合うシーンが印象的で、逆にそれ以外はあんまり覚えてなかったんだけど、もっとリー・ヴァン・クリーフとの対決がメインのような気がしてたけど、確かにお互い出し抜こうとはしてるものの最終的にはしっかりバディものになっていたのは意外だった。モーティマー大佐、馬の鞍から提げた革のライフルケース(?)から銃を取り出してすぐ狙撃できる状態になってるとか、拳銃に銃床を取り付ける改造してたりとか、銀行の金庫を無傷で開けるワザを持ってたりとか、プロフェッショナルな演出がすごくイイ。しかし最後は狙ってた賞金首との一騎打ちをすごく盛り上げる雰囲気になって、この流れだと両者に何らかの因縁がないとおかしくない? と思ったら実は妹の仇だったことが判明するのはやや唐突。あと懐中時計に仕込んだオルゴールが鳴り止んだ時が決闘の合図だというのが二回も出てくるんだけど、それタイミングがわかりづらくない!? と思った。やや冗長だし。この、発砲するタイミングを待つ間をたっぷり演出するのがレオーネ流で、それにはちょうどよいんだろうけど。ラストは賞金額を計算してたら合わなくて実はまだ一人生きてる奴がいた、というのがオチなんだけど、賞金首どもの死体を荷馬車に積んで運んで行く絵面はなにげにあまり見たことないなと思った。
『続・夕陽のガンマン / 地獄の決斗』は完全版で正味3時間弱と長い! 英題は "The Good, The Bad and The Ugly"で(イタリア語の原題では悪玉と卑劣漢の順が逆らしい)、三人それぞれの登場シーンにストップモーションで文字が出るところで日本語吹き替え版では「俺、いい人」と声が入るやつである。そういえば Ugly に卑怯みたいな意味あるの? とずっと疑問だったんだけど今回調べたらありました。醜いと卑劣が同じ単語って、悪口全部盛りみたいで酷くない?
その主人公三人が登場するまでのオープニングのシークエンスも尺がたっぷり使ってあって、セリフなしで進行するのも印象的。上に書いた『夕陽~』の帽子を撃ち合うシーンも終始無言なんだよね。悪玉のリー・ヴァン・クリーフが殺しに来た相手と対峙するシーンも延々と無言で、一言も喋らないまま相手が追い詰められていく演出は『イングロリアス・バスターズ』冒頭のユダヤ人狩りのシーンみたいで、タランティーノもやってるな! と思った。セリフなしで引っぱるのはイーストウッド的でもあって、『目撃者』はイーストウッド映画の中では微妙な部類だと思うが冒頭15分くらいセリフなしで引っぱるのにシビれた、と『WXⅢ』総監督の高山文彦が言うてたのが気になってるのだがそういえばちゃんと確認してない。閑話休題。
本作はやはり The Ugly のイーライ・ウォラックがめちゃめちゃいいキャラで、つるんでるイーストウッドも The Good なのに平気で裏切ったり見捨てたりするし、主にこの二人の珍道中で保ってる印象。リー・ヴァン・クリーフは前作『夕陽~』に較べるとドラマがなく、最後の決闘シーンでもあっさり死ぬ。レオーネ監督によると「ピカレスクというジャンルはスペイン文学の伝統だが、コメディア・デラルテと同様、完全な善人や悪人は存在しない。とはいえ、リー・ヴァン・クリーフが演じた本当に悪い男を生き残らせることはできなかった」(物販で売ってた『エンニオ・モリコーネ映画大全 特別編』より)。
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