いつもの駅のあれ。
新キャラのパネルを求めて、まずは大洗港フェリーターミナルへ。朝一だと人が全然いない(笑。
バニラさん。
去年行けなかった松のぶでうなぎ。
松のぶのすぐ前が幕末と明治の博物館だったので、その入り口にある藤田東湖像だけ見てきた。
今年も大洗磯前神社に参拝。ちょうど神前結婚式やってました。
新キャラパネル、汐風の熊八店頭のクランベリー。
新キャラパネル、ホビー喫茶 Sdkfzにてピーチ。
シーサイドステーションに入ったどうぶつ雑貨専門店 Only-Shopにて、新キャラパネルのヨウコ。
なかなか味のあるどうぶつグッズが満載の店でよかった。写真にも見えてますがヨウコのすぐ傍にフィンランドつながり(?)でムーミンのコーナーが設けられているのもニクい。
夕食はアズミの店ことしちりんであんこう鍋。
二日目の朝(昼)飯は悠久で天丼。海鮮で名高い店ではあるが、寒かったので温かいものが食いたくて……魚の天ぷらがボリューミーかつ滅法うまかった。
サザコーヒーでゴールデン将軍珈琲&サザガルぱん。
家で自分で淹れた将軍珈琲飲んでるので、店のとどれだけ違うか較べてみたかったのだが、期間限定のゴールデン将軍珈琲があるというので思わずそっちにしてしまった。
カップとソーサーが黄金!
その他の写真はストーリーズハイライトにしておいた。
於、東京国際フォーラム。
この会場初めてではないよなと思ったが、何で行ったのか全然思い出せなくて、調べたら2010年のリスアニライブだった。Girls Dead Monster が出た最初のリスアニ!LIVE。今回と同じホールAだが2階席だった模様。当時のことは何も記憶にないが、今回行ってすげえ会場だなと思った。チンケなライブハウスとは全く違うな。当たり前だが。
She is Legend の曲って最近は本編で使われたのが五月雨に配信されるので覚えきれなくて、第一印象でピンと来なかったものはあまりちゃんと聴き込んでなかったりするんですが、ライブで聴くとずいぶん印象が変わる曲もありますね。"Heartbreak Syndrome" とか。あとイントロからピアノで聴かせる曲を前回よりガッツリやってた気がする。(というより She is Legend のツアーバンドにはキーボードはいなかったから生鍵盤は今回が初だった)
それから今回はSiLとやなぎなぎのコラボパートがあって、Burn My Soul / Universe ? どっち扱いなんだろ。スクリーンに曲名が出たかもしれんが見逃した。あとアンコールの『シヴァ』、これはスクリーンにコーラスの歌詞を出して観客に歌うよう促していたが、「メガシャキ」とか「冷えピタ」とか出てくるの知らなかった。それならもっと大合唱できる曲あるのになあ。"Indigo in Blue" とか。ってこれも前回同じこと書いた気がする。SiLの二人と並んだの見て初めて気づいたんだけど、やなぎなぎさんて思ったより小柄なんですね。出演者が二組なので2時間半あっても長く感じないというか、それぞれの曲数的にはもっとやってもよくない? と思ったくらいだが、バンドはずっと出ずっぱりなのでキツいか。
個人的にはくるくるパーカーを着て行けたので満足。
ヘブバンライブ、くるくるパーカー着て行けるじゃん! ということに気づいた pic.twitter.com/PC6znVs2qW
— ナンジャラス計画B f.k.a.上海 (@Nangerous_PlanB) February 10, 2024
SS席の一番後ろだったので、後方の人たちからバックプリントがよく見えたはず(笑。
]]>TOHOシネマズ、売店があるロビーのフロアまでは入ったことあったけど映画観るのは初めてだわ、たぶん。ちょっとまだアウェー感あって、馴染みの新宿ピカデリーやバルト9で観られる映画はそっちで観てたんだけど、今回やってなかったので、長い付き合いになるしいつまでも忌避してるのはよくないと思い行ってきた。そんな大げさな話でもないのだが、どうも人の多い場所は苦手で。ってピカデリーも十分人は多いよな。やはり慣れの問題でしかないか。
画面が暗いシーンが多くて観づらいのでIMAXレーザーが良いという意見を見かけてそうしたのだが、それほど暗い画面作りが目につく映画でもなかった気がする。通常上映と較べてみないとわからんけど。2,000円+追加料金700円。いつも陣取る最前列真ん中が車椅子席になってる配置だったのでそのすぐ後ろの3列目中央にした。
]]> 私がリドリー・スコット好きなのは何割かは押井守の影響(笑)だけど、押井はなんつっても『ブレードランナー』『エイリアン』でSF映画の以前・以後を画するやつを2回もやった! てとこをリスペクトしてるんだろうけど、私はどっちかというと最近(でもない)の史劇が好き。というか『ロビン・フッド』を撮ったのがきっかけと言うてよい。つーてもラッセル・クロウがヒゲ面のまま演じてる時点でロビン・フッドの俗なイメージとは全く違うわけで、この「何を撮っても同じ絵面」感が逆によい。そういう意味で今回トゥーロン要塞の攻城戦なんかは『キングダム・オブ・ヘブン』的だし、ナポレオンのセックスがヘタクソという描写とか「情欲だけの関係では子供はできない」とか言うてるところは『最後の決闘裁判』的でもあり、集大成という感じだった。キューブリックが『ナポレオン』を撮る計画があったけどポシャった、というのを、実に惜しい!! とずっと思ってたので、リドリー・スコットがナポレオン、と聞いた時にまず連想したのはそれだったんですよ。パンフ読んだらサー・リドリーもそれは意識してたらしく、しかも『バリー・リンドン』大好きとか書いてあった。キューブリックが、実現しなかったナポレオンの代わりに撮ったのが『バリー・リンドン』という側面があると聞いて私も観たのだがこれは全く面白くなかったので、そこは解釈違いである。閑話休題。
で、今回の『ナポレオン』はジョゼフィーヌとの関係を軸に描くという話だったので、期待してるのはそれじゃねえんだよなあ、と思ってたのだが、実際に観たらヴァネッサ・カービーのジョゼフィーヌがメチャメチャいいオンナだったので一発で気に入ってしまった。ナポレオンとの関係も、奔放なジョゼフィーヌが一方的にナポレオンを振り回していたというようなありきたりな解釈ではなく一筋縄ではいかない演出になっている。
その分、ナポレオニックとしては駆け足というか主要なイベントだけ拾って描いていく構成になっていて、モスクワが燃えてロシア遠征から撤退したら次のシーンはもう退位宣言書に署名してエルバ島行きだったりする。とはいえ、ブリュメール18日の時に議会で突き上げられて大ピンチだったのを弟リュシアンの機転で(兄に剣を突きつけて啖呵を切って)どうにかなったとか、戴冠式では(教皇によってではなく)自分で戴冠した、とか、エルバ島からパリに戻る途上で迎撃に来た部隊を煽動して味方につけるところとか、描くエピソードはさすがにツボを押さえている。158分もあるけど長いとは全く感じなかった。
ただ全体の流れもジョゼフィーヌに関連づけられていて、エルバ島を脱出するきっかけが皇帝アレクサンドル1世がジョゼフィーヌに会ったという記事を読んだことだったり、パリに戻って会いに行ってみたら既に死んじゃってたのを初めて知って、それでショボくれたせいでワーテルローで負けたみたいな流れになってるのはさすがにどうかと思った。息子のナポレオン2世もやっと産まれたと思ったらそれっきりだし、タレーランはさすがに他のキャラよりは出番あったけど、ナポレオンとの関係をもう少し描いてほしかった、などなど思わなくもないが、158分あってこれなんだから、まあ、無理か。
]]>前作『~おでかけシスター~』も観に行ったんだけど感想を書いていなかった。原則として劇場で観た映画は感想を書くようにしていたのだが、うまくまとまらなくて下書き中のままになっていた。
]]> 原作では妹の当番回は二回あって『おるすばん妹』『おでかけシスター』がそれである。というか、記憶を失っていた間の妹を「かえで」、元々の妹を「花楓」と明確に別人格として扱っているので二人分ともいえる。しかし妹編のクライマックスはやはり、花楓の記憶が戻ることでそれまでの「かえで」はいなくなってしまうという『おるすばん~』のほうであって、その後の話である『おでかけ~』は、2年間引き籠もっていた不登校の中学生が進路をどうするか、という、非常に社会性の強いワンテーマの映画になっていた。それはそれで映画の構成としてシンプルで正解だし、よく出来てはいたが、青ブタシリーズの一編としてここだけ見せられるのは不思議な感じもした。ちなみにED『不可思議のカルテ』はヒロインのキャストが歌うのがお約束なのだが、『おでかけ~』のEDは『不可思議のカルテ 花楓&かえで Ver.』となっており、本当に久保ユリカがパートごとに花楓とかえでで歌い分けていて聴いただけでどっちがどこを歌っているかちゃんと区別がつくという見事な芸になっていた。これはすごかった。 さて、では今回の『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』ですが、個人的には原作のこの巻は何度読んでもよくわからん話だと感じていた。タイトルロールの「ランドセルガール」は主人公咲太の前に何度か姿を現し、ある役割を果たすものの、その正体は不明のまま終わる。またその後の巻にもチラッと姿を現すので、これは牧之原翔子さんがいわばシリーズ第一部のキーパーソンだったのと同様、第二部を通じて鍵になるキャラクターなのだろうと考えていた。なのでこの巻の物語の中心になるのはあくまで咲太と、主にその母親との関係である。映画のプロモーションでは本作で「高校編完結」「家族の物語」という風に謳われていてなるほどと思った。私の中では高校編という区切りはあまりなくて、上記の通り翔子さんの第一部が終わってランドセルガールは第二部の始まりを告げるキャラと解釈していたので。
一方で「家族の物語」というのは納得である。一般に、従来のライトノベルでは主人公の「親」はあまり描かれないことが多いのが特徴とされていて、高校生なのに妹と二人暮らしをしている青ブタも一見その典型であるように見える。しかし、そうなってしまった原因である妹と母親の問題がむしろメインテーマとして描かれた結果、今作が家族の物語となったわけだ。
おさらいすると、中学でいじめを受けた妹の花楓は心因性の逆行性健忘を起こし、家族のことも忘れてしまった娘を受け入れられなかった母親も心身のバランスを崩してしまった結果、母親は入院して父親が世話をし、兄妹は親元を離れて暮らすようになった、というのがこのシリーズのバックグラウンドで起こっていた梓川家の事情である。
今作でも最初のクライマックスはあくまで妹と母親の対面であり、そのシーンで「実は母親が咲太に一度もリアクションしていない」ことには気づきにくいという、あるジャンルの映画のようなカモフラージュの演出になっている。で、母親に咲太が見えていないことの余波のようにまた世界中の人間から咲太が認識されなくなるという思春期症候群が発症するんですが、実はそうではなくて、現象自体は全て咲太の側の問題が原因なんですね。母親が入院したのは記憶をなくして別人のようになってしまった娘の現状を拒絶したからで、でも息子を拒絶する理由はなくない? という点がまずよくわからなかったんですが、そうではなく、咲太の思春期症候群の結果として母親の中から咲太の存在は消えてしまった。そのトリガーとして久しぶりに会った母親と「一度も目が合わなかった」ことを認識してしまった事実がある、という。映画ではスッと入ってくるんだけど原作ではやはりわかりにくくないかなーと思う。ちゃんと読めてないだけだと言われればそうなんですが。
では咲太の側にはどんな問題があるのかと言うと、要するに、母親が入院し、妹の世話をしながら自活しなければならない状況で母親の心配までしている余裕がなかった、という話であって、それは一介の高校生男子のキャパシティとして全く無理もない話だし、それ以前から母親と健全なコミュニケーションが取れていなかった、という話にしても、ハッキリいってそこまで異常な母子関係とも思えない。一度並行世界に行ってトラブルの起こらなかった場合の家族の状況を体験することで、改めて母親との関係を見直す、みたいなことでフワッとした問題がフワッと解決して終わるのだが、今までのシリーズに比べると核心となる問題の深刻さがいまいち伝わらないというか、まあ思春期の問題なんて他人から見れば大したことない話だということかもしれないし、家族がもう一度ひとつになるという着地はシリーズ開始時の状況からすると納得ではある。ラノベで息子と母親の関係がこういう形で書かれることはあまりなかったので、野心的な試みだとは思う。
あと梓川ママ、意外と若くてちょっとイメージと違ったというか、もっと俗であざといラノベに出てくる異常に若くてかわいいママとは一線を画しているのは明らかなので、もう少し普通のおばさんのイメージで原作は読んでいるんだけど、そのラインのラノベがアニメ化すると、あれ? と思うことが多い。まあこの場合は病人でもあるので儚げに描かれているとかそういう面もあるけど。再登場した桜島ママもなんか前に出たときと雰囲気違わない? と思ったがチラッと挿入された回想シーンはその時の絵だろうから、記憶のほうが今回の印象とズレてるだけか。
それから妹の友達であるこみちゃんこと鹿野さん(並行世界バージョン)、第二部の重要人物である赤城郁実、そして花楓の卒業式をお忍びで見にきた麻衣さんが変装でメガネをかけているなど、今回はメガネヒロインが充実していた。もちろん双葉理央もいる。メガネ。
於、新宿ReNY。
ReNYってどこかと思ったら新宿アイランドタワーのすぐ脇だった。一時期あの辺よく行ってたんだけどこんな箱があったとは知らんかった。キャパ800とな。並んでる時「ソールドアウト公演なので手荷物は邪魔になります! ロッカーかクロークに預けて!!」ってめっちゃアピールしてたので、どんだけギチギチに詰め込まれるのかと思ったが結果大したことはなかった。手頃な広さだしステージの高さもあるし、いい箱やね。
]]> さて前回はカラオケ音源だったのでガッカリしたとか書いてしまいましたが、今回はバンド演奏。反射的にチケット取った時点では詳細不明だったけど結果オーライ。【Live】
— She is Legend (@SiL_official_jp) September 4, 2023
/
ツアーバンドメンバー紹介🎸
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BandMaster・Gt.吉田穣
(@yoshida_minoru_)
Gt.戎屋聖一郎
(@seiichiro_ebisu)
Ba.蛇石徹
(@hebi0513hebi)
Dr.Hiroki
(@Hiroki_DBB)
編曲担当の吉田さんをはじめ、レコーディングで演奏されてる方々も交え『#シーレジェ の音』でお届けします! pic.twitter.com/GzaGQZpZyy
アレンジャーの人がバンマスだったのか。よいことだ。
セットリストは……どこかにあるかと思ったが現時点では見つからなかった。
"Popcorn N' Roses" はこの公演が初披露だと言うてた。
つかれた。
エンジェルダスト(PCP)って原作に出てきた薬物で、元は実在する麻薬の名前だったと思うんですけど、もちろん作中の描写はデタラメで、投与されるとハイになって痛みを感じない状態でおまけに怪力を発揮して襲ってくるので頭部を吹っ飛ばして殺すしかないという、ゾンビみたいな敵を産み出すクスリってことになってました。
そのクスリを扱ってるユニオン・テオーペって組織は原作の最初期にシティーハンターに接触してきて当時のパートナーだった槇村を殺した連中なんですけど、アニメでは「赤いペガサス」(村上もとかかよ)って名前になってて、ユニオン・テオーペのボスは「長老(メイヨール)」と呼ばれ指輪の印章で焼き印を押すみたいな秘密結社的な秘儀っぽいことやってたりしたんですけどアニメではそこらへんはなくて赤いペガサスのボスは別人でその後釜になろうとした奴も獠に殺されて組織は壊滅したことになってました。
原作ではユニオン・テオーペの長老だった海原神というのが事実上最後の敵として出てきて、冴羽獠は幼少時に乗ってた旅客機が南米あたりに墜落して奇跡的に生き残って海原に拾われ傭兵として育てられたという過去があり、つまり育ての親でもあるわけです。
今回の映画に海原が登場するというので、アニメの過去作で改変しちゃった部分も含めてどうすんの? と思ってたら、赤いペガサスは「国内最大の犯罪組織」であってその上位組織がユニオン・テオーペでしたということになってた。まあそれはよい。ちなみに旧アニメから年月は経っているとはいえ、TVシリーズのチーフディレクターだったこだま兼嗣が今回も総監督なので、シリーズとして地続きではあるわけです。旧作でエンジェルダストをやらなかったのは時代的にも麻薬の話をTVアニメでやるのは避けた、って特番で言うてた。なので今回、劇場版で最終章として海原とエンジェルダストの話をやろうというのも旧アニメからの延長にある。
ところが、肝心のエンジェルダストが、「ナノマシンを体内に注入して心身を支配する兵器」みたいになってた。麻薬じゃないじゃん!! しかも最後はゲストヒロインのアンジーがそのエンジェルダストを打たれて、まだかろうじて本人の人格が残ってるうちに楽にしてやれということで獠が撃ち殺してしまう。さすがに頭を撃つんじゃなく、防弾スーツの心臓のところに着弾した一発目にもう一発当てて貫通させるというやつでしたけど、獠が女性を殺すのもちょっとアレだし、原作ではミック・エンジェルとか(獠自身も)エンジェルダストの依存症から復帰した例があるのに、こっちのエンジェルダストは打たれたら殺すしかないというのを決定的に描いてしまっていいのか? と疑問。
話自体は、海原はまだ顔見せ程度にしか登場してなくて、その部下だった暗殺者チーム三人が敵でありゲストヒロインなんだけど、そういえば原作ではユニオン・テオーペは大きな組織なのに幹部との戦いみたいなジャンプ的な構造は全然なかったなと思った。初手から海原しか相手にしてなかった。そのへんはシティーハンターという作品の特色だったと言えそう。でも海原って戦争やりすぎて死生観がおかしくなっちゃったみたいな人物像だったと思うんだけど、今回「エンジェルダストで確実に暗殺すれば戦争やる必要がなくなる」みたいな理屈が出てきて、前作新宿プライベートアイズの悪役も特殊な戦闘状況を作ることで儲ける武器商人みたいなやつだったけど、変な思想に目覚めた確信犯(本来の意味の)みたいな悪人像はどこから来てるんだろう。旧作にはそんなのなかったと思うが。
あとキャッツアイはもう完全に仲間になってて、(国際的な組織である)ユニオン・テオーペのことを調査したほうがよさそうねとか言って海外に旅立つシーンがあったりして、次回も出る気満々やないですか。オープニングも建前として絵画を盗み出してるんだけど実はその額縁に仕込まれてたのが改良版エンジェルダストだったみたいな話で何だかよくわからん。あと喫茶キャッツアイに三姉妹が客としているシーンがあってその絵面はちょっと面白かった。そういえば旧アニメでは特に新宿の町をちゃんと描写するようなことはなく、僅かに獠のマンションが区役所通りのあたりにあるように見える絵があったくらいなんですが、前作からの劇場版では実際の新宿の街並みを描くことをやっていて、そうなると喫茶キャッツアイはどこにあるの? ってのが気になってくるよね。閑話休題。
他にユニコーンガンダムはまだしもルパン三世が出てくるのは意味わからんが、『ルパン三世VSキャッツ・アイ』やってた縁なのかな。強いて言えばシティーハンターの総作画監督を長く務めた北原健雄はルパン三世PART2のキャラデザ・作監でもあったので以下略(たぶん関係ない。
アンジーが使う銃が獠と同じコルトパイソン.357マグナムなのは同じ海原を育ての親とするいわば兄妹という表現だと思うんですけど、獠も言うてる通り女の子が持つような銃じゃないので、原作では海原がコルトアナコンダを使っててパイソンと蛇つながりだったので、その線で言えばキングコブラもちょっと仰々しいしコブラとかで良かったんじゃね? と思った。
生前の槇村が冴子と会話するという、原作でもほぼ描かれたことのない貴重なシーンがあるんですが、ここの槇村の声がなぜか田中秀幸に聞こえなくて困惑した。田中秀幸の声は最近も聞いてるけど別に声が変わった印象はなかったけどなあ。私は持ってるモデルガンがコルトパイソンじゃなく槇村のコルトローマンというくらい槇村が好きなんですけど、ちなみに冴子が槇村のこと秀幸って呼んでますが原作では下の名前がなかった槇村が秀幸になったのは田中秀幸が由来と言われており、田中秀幸とは切っても切れない関係。田中秀幸はキン肉マンにおけるテリーマン、ドカベンにおける里中に対する山田など「神谷明の親友キャラ」と言えばこの人。ちなみに北斗の拳ではファルコ。その後もスラムダンク(旧)の木暮、ダイの大冒険(旧)のアバン先生、ワールドトリガーのレプリカなどジャンプの脇役に欠かせない名バイプレーヤーである。何の話だっけ。
原作のシティーハンターは本当にすごいドラマで、最初期に出てきたユニオン・テオーペの話を最後の最後に回収するのもそうだけど、香は死んだ親友の槇村から獠が最期に頼むと託された妹だから手を出せないし、いつか表の世界に返してやろうと思っているので裏稼業を手伝わせながら手を汚させないようにしている、というどっちつかずな匙加減でずーっと引っ張り続けるのもすごい。香は槇村の実の妹ではなくやはり刑事だった槇村の父親が追跡中に事故死した犯人の娘を引き取った子だということを本人が二十歳になったら打ち明けるはずがその直前に槇村が死んじゃったので香はそれを知らないままで、血の繋がった姉が香を探し当てて訪ねてきた時は獠に「常に危険と隣り合わせの裏の世界の人間なんだから動きにくいチャラチャラした格好するな」とか言われてお洒落もできないという香の境遇にショックを受けて裏の仕事を辞めさせようとする、なんてエピソードもある。獠はある時は香を一人前のパートナーとして認めるような発言をしたり、かと思うと人を殺させないように香の持つ槇村の形見の拳銃の照準をわざと狂わせていた(香が射撃がヘタクソなのは実はこれが原因だった)という話が出てきたり、矛盾する態度を取り続けるんですが、私は単にその時のエピソードを締めるのに都合が良いような描き方してるからいつも言うことが違うんだろうな、と思って読んでた。ところが銃の細工の件を知ってショックを受ける香に対し遂に本音を話す獠のセリフでビックリした。
「おれは…ずっと悩んでた…。槇村が死んでからずっと…それが頭から離れたことはない…。おまえを おれのもとにずっと置いておくべきか…。表の世界でふつうに幸せを求めさせるべきか…だ。…出る結論は毎日ちがった…。もう このままでいいと思ったこともある。それを におわすようなことをおまえに言ったこともある…だが すぐ心がぐらついた。おまえのホントの幸せを願うなら表の世界に返すのが一番なのはわかりきったことだからだ…。その堂々巡りの中でいたずらに時間が過ぎてしまった…。そのせいで いつもおまえを苦しめた…。すまないと思ってる」
こう説明した上で、調整し直した銃を改めてパートナーとして受け取ってほしい! と渡すんですが、その前に上のセリフが私には衝撃的だった。先に書いた通り、獠が香をパートナーとして認める発言をしたり、逆にいつか表の世界に帰さなきゃみたいなこと言うたりするのは、その時々の話の流れの都合であり、いわばお約束であってそれ以上の深い意味があろうとは思ってもいなかった。ところがこのシーンの獠は「ずっと悩んでいた、いつも出る結論は違った」と矛盾する考えを抱えて葛藤していたことをキッチリ説明してここまでの流れを丸ごと全部回収する。「悩み続けて、出る結論は毎日違った」、これをマンガの登場人物の心情として言わせて成立させる、このレベルの人物描写が出来るんだ!! と心底驚いたのをよく覚えている。
そして海原との最終決戦の前に香が髪をバッサリ切って覚悟を示すんだけど、そこで獠は「戻っちまったな…シュガーボーイに…」と言う。このセリフに対しては何の説明もないんだけど、獠が香と初めて会ったのはパートナーだった槇村から家出した妹を探してくれと依頼された話が最初ってことになってたのが、その後で実は高校時代の香が獠に会ってたというエピソードが描かれて、当時の香は髪が短かったので獠はずっと男の子だと思って「シュガーボーイ」って呼んでたわけです。その回はそれっきりだったのに、ここへきてそのシュガーボーイが香だったことに獠は気づいてたんだという回収がくる。しかも回想を入れて説明するみたいな描写が一切ない!
というわけで、かようにシティーハンター原作終盤の展開は神懸かってるんだけど、アニメはその前フリの部分を全然やってないわけだから活かせないのはつらいよね、と思う。
]]>久しぶりの早稲田松竹だけどコロナ禍体制は特に変わってなかった。
『映画作家たちのエピソード0』ということで、ユダヤ系監督の自伝的作品というつながり。
『アルマゲドン・タイム』のジェームス・グレイ監督は他の作品みたことないんだけど、いい映画でした。
アン・ハサウェイの美人すぎる教育ママと、厳しい父親、そして主人公のよき理解者である母方の祖父アンソニー・ホプキンス。ユダヤ系移民としての苦労を語るアンソニー・ホプキンスはさすがの存在感だけど、父親もいい。「パパは僕を自分と同じにさせたいだけだ!」と反発する主人公に「違う。私を遙かに超えてほしい。それが願いだ」と返す。義父であるアンソニー・ホプキンスが亡くなった時は「妻の親族は皆、私の父が配管工だったと知ると私を軽んじたが、彼だけは敬意を払ってくれた」「一族の中心だった。これからは私が代わりを務める」と言って泣く。演じてるのはジェレミー・ストロングか。他の出演作品をチェックしようにもどれを観てよいのかわからない微妙なキャリアだ(笑。
物語としては公立校で仲良くなった黒人の友達と、問題を起こして私立校に転校させられたのを機に疎遠になりかけるも、最後は家出の資金を稼ぐために一緒に盗みを働いて警察沙汰になり、決定的な別れが訪れる。主人公は「自分が計画したことです」と供述して、高潔であれという祖父の教えは守れたが、皮肉にも担当警官が父親と旧知だった縁で自分だけ無罪放免になる。「鑑別所行きになるところを非常な幸運で助かった。今日のことはなかったことにする、ママにも話さない。友達にはもう会えないが代わりに与えられた幸運を最大限に使うしかない」と父親が、「現実と戦い続けるのはしんどいだろ?」と祖父の幻影が諭す。親友との静かな別れのシーンは切ない。
今世紀最高のアニメ『プリンセス・プリンシパル』、全人類待望の新作(3回目。
]]> 予告でチラッと出てたメガネでメイドでポニーテールのドロシー、思ったより出番が多かった。今回の絵的な見どころはそれに尽きる。ここからは政治劇だからでっかい爆弾とかドラゴンとかのトンチキアクションは控えめになるだろうと予想する向きもあって、今回はその通りになってしまっていたなあ。あ、以下はネタバレ。
一方でアーカム公リチャードは底を見せないまま引っぱっていて凄い。2章ラストでもその片鱗は見えていたが、陰謀家でありながら「ハプニングも楽しむ」というゲーム感覚でやっているところもあり、というキャラクターをステレオタイプにならない匙加減で演出している。笑顔のまま陶器をはたき落として歩くところとか。
つーかこの引きは普通ラス前とかでやるやつじゃねえの!? と思った。ノルマンディー公にスパイとしての正体がバレるって一番あってはならないことだったわけで、もう完全にストーリーが次のフェーズに移行せざるを得ないよなあ。まあ、プリンセスが女王になって壁を壊す、というシリーズのゴールまでやるつもりならこの後もいろいろあるわけで、いよいよ最終章に突入、という感じだろうか。おじさまが示唆してたように次回は王国側の二重スパイをやる話になるのか。リチャードも逮捕までされた以上、もう穏便な形で元の立場に戻ることはないだろうし、現時点でノルマンディー公大勝利! としか思えないのだが。メアリー生存ルートも亡命しかありえなかったように見えるし、ここまで本当に次がどうなるかわからない引きは珍しい。今までのペースからして次回は年内に公開されるのだろか?
]]>大洗駅。ホーム直通のエレベータができてた。
軽食喫茶ブロンズで鉄板ナポリタン。
いつも混んでる店だがこの日は本当に人出が少なく一時は店内貸し切り状態になるミラクル。おばちゃんが完全にペパロニの祖母で嬉しい。
鉄板ナポリタンはたぶん6年ぶり2回目だが、やはり見た目の印象より量が多くて満腹感がすごい。
夕飯は味処 大森で鮟鱇どぶ汁鍋。
どぶ汁は要予約だがちょうどシーズン終わりでこの土日で最後とのこと。ギリだった。
シーサイドステーションのサザコーヒー大洗店でマリー様のモンブランケーキ。
原則週末のみ提供で数が限られているので前日までに予約しておくが吉。ドリンクとセットで1,500円。かなり本格的な味で、スイーツにも力を入れているのが窺える。以前に通販で買ったカステラも美味かった。
そして個人的に前から気になっていた徳川将軍珈琲をゲット。
これは通販とか都内の店舗でも買えるんですが、せっかくなので。
サザコーヒーは本店がひたちなか市で茨城中心に展開しているので、徳川慶喜が水戸出身であることにあやかっているのかな、くらいに思っていたのだが、実は慶喜公から四代目の曾孫がサザコーヒー創業者の友達で、実際にその人が焙煎したコーヒーを販売していたという、ガチな徳川将軍珈琲でした。
あんばいやでつけカレー南蛮。
これで880円は安い……。
ほそのやでくろんぼ。
ここは全員初めて。小島エミにやっと会えた。
他にも大洗磯前神社には今回もお詣りしたし、私設の休憩所大洗きゅーべる倶楽部で一休みさせてもらったり、坂本文具店で大洗女子学園のボールペンを買い増したり、潮騒の湯に入ったり魚幸で刺身の盛り合わせ作ってもらって宿(さわや)で晩酌したり、悠久はこの天気にも拘わらず土日とも行列できてて断念したり、松のぶはなぜか予約の電話が通じなかったり、いろいろあったけどやはり雨のせいで今回は写真も少ない。
]]>例によって配信もあったので、ライブレポ言うてもなあ、という感じなのと、She is Legend は生バンド演奏だろうと思ってたらそうじゃなかったので正直そこでテンション下がってしまった。迂闊だった。せっかく、去年買ってしまって着る機会のなかった(あるわけない)リトバスジャージにガルデモTシャツという、老害Keyオタ丸出しな格好で行ったというのに。席も2階の最前列でなにげにいいとこだったし。
She is Legend は主人公の所属部隊メンバーで組んでいるバンドでツインボーカル、茅森月歌(CV:楠木ともり)と朝倉可憐(CV:芹澤優)のボーカルをそれぞれXAIと鈴木このみが担当してるんですが、ややこしいのは朝倉可憐は二重人格で、裏の人格である連続殺人鬼カレンちゃんが She is Legend ではスクリームを担当していて、つまり叫ぶところだけ人格が切り替わる(笑。 そしてスクリーム担当は ayumu という別の人なので、つまりボーカル担当の中の人は三人いるんだけど今回は二人しか出演していない。なのでスクリーム部分はオケのままで、可憐ちゃん担当の鈴木このみが都度、叫ぶ格好でパフォーマンスしていた。これも口パクというのだろうか。そこはちょっと面白かった。発表された She is Legend ライブツアーではどうなるのだろう。
一方のやなぎなぎは主にゲームの戦闘で流れる挿入歌を歌っているので She is Legend とは別パートになるのだが、スクリーンにゲームの会話シーンと同じ形式でMCや寸劇のムービーを流してから戦闘に突入する体でやなぎなぎパートに移行するなど、そこはずいぶん凝った構成になっていた。ゲーム開発のリソースも使ってキャストも呼んで収録してるわけだからな。あと吊ってあるキャンサー(敵)のオブジェ(?)を光らせたり、さらにブレイク(装甲が破壊された)状態の色に変わったりといった趣向も。生演奏じゃないとか文句も言いづらくなるくらい演出には力が入っていた。
やなぎなぎは昔ワンマンライブを観に行ったことあるけど結構印象が変わったなと思ったが、確認したら2013年の1stアルバムレコ発ライブだったのでもう十年前か。しかもデビュー前はライブとかやってなかった人だと思うので当時はまだ慣れてなかったのだろう。
それからチケットの特典として付いてくる形で全員に無線制御ペンライトが配布された。遠隔操作で勝手に色が変わるやつね。そういう物があることは知ってたが手にするのは初めてだ。最近は物販に並ぶような元気もないしな。昔はパキッと折ると中で混ざった薬品が反応して光るケミカルライト、いわゆるサイリウムが主流だったもんじゃ。『ランボー3』を見るとあれが明かりとして本来の使われ方をしていてビックリした。閑話休題。
で、印象的だったのは結局一番盛り上がったのがアンコール大トリの『Crow Song (SiL ver.)』(言うまでもなくガルデモのカバー)だったこと。隣の席の人も若者っぽかったのにイントロ流れた瞬間ブチ上がってたからな。私ももちろん大好きですけど。まあロックを奏でろ~ってわかりやすく声出せるしな。ゲーム内で最新の曲だというのもあるのかもしれないが、それでいいのか? 個人的にはやなぎなぎの『Indigo in Blue』とかも低音コーラス部をみんなで歌ったら気持ちいいと思うのだが。
あと She is Legend を「シーレジェ」って略しちゃうんだ、とちょっと衝撃を受けた。ハッシュタグも普通にそれが使われていた。
]]>HEAVEN BURNS RED LIVE 2022まもなく17時スタート!
— ヘブンバーンズレッド公式 (@heavenburnsred) March 19, 2023
会場にはキャラクターののぼりなどが登場しています!
▼オンラインチケットはこちらhttps://t.co/MI3aAXxoiZ#ヘブバン #ヘブバンライブ #やなぎなぎ #シーレジェ #XAI #鈴木このみ pic.twitter.com/mXQEkdPKhi
先行して観た人たちから『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』とは違うから気をつけろというような話がチラホラ聞こえていたので、じゃあ『キューティーハニー』だな! と思って観に行った。というのは冗談だが(そもそもキューティーハニーを観た記憶ない)
]]> 私はエヴァンゲリオンの直撃世代の中ではむしろずいぶん庵野秀明に思い入れのないほうだと自分では思っているのだが、『シン・~』はなんだかんだ劇場に観に行ってるな。前にも書いたけど大画面とか音響とかに本質的に興味がないので家で配信で観ればいいじゃんてなってなかなか劇場まで行かないのだが、やはり話題になってると早く観ておかなくちゃという心理が働くということか。しかもドルビーアトモスのシアターをなんとなく選んで追加料金200円取られていた。音響に興味ないっつーのに。以下ネタバレ。
プロモーションでは緑川ルリ子をフィーチャーしてる印象があって、前の記事に書いたけど浜辺美波好きなのでそこは期待してた。ルリ子ってオリジナルでは本郷が一旦いなくなった時点で一緒にフェードアウトしちゃうんだけど、改造人間であり人外の異形となってしまった本郷猛が正体を隠さなきゃいけないってところと、父親の緑川博士を殺した犯人と誤解されるというダブルパンチが初期の展開として効いてると思ってたのでそこを拾うのはいいな、と思ったのだが、人工子宮で産まれてショッカーの中で育った生体計算機、という庵野ヒロインナイズされたやつになってた。まあ浜辺美波はよかった。
池松壮亮という役者はあんまりよく知らなかったんだけどこいつが本郷? と思ってたら頭脳明晰スポーツ万能はそのまま「なれどコミュ障で無職」ということになってて、それか、と。緑川博士は娘のお守りとして本郷を改造した、的なことをイチローが言うてたけど確かにそういう面はあって、つまりそれってキカイダーだよな、と考えると納得できる。それを言うなら蝶モチーフなのはイナズマンだけどイチローというのはキカイダー01の名前であって、仮面ライダー第0号とか言い出すのもちょっと変に思えるがキカイダー01と捉えれば腑に落ちるわけです。SHOCKERのボスが人工知能で、人類の幸福を実現せよという命令を追求してたらああなったとかは、まあどうでもいい。脚本協力にクレジットされてる山田胡瓜のアイディアが入ってるらしいけど。でも全人類をハビタット世界に、というのは人類補完計画と変わってないなと思ってしまった。
今回は中に入ってる人を意識したということでライダーが喋る時に顎が動くのに拘ったり、マスクとスーツの間の首のところの生身が見えてたり、後ろ髪がマスクから出てたり、スーツアクター使うところも減らしてかなりキャストがアクションもやったみたいですね。あのスーツの上にコート着てるのもイイ。ビジュアル面はかなり好み。あのコートが商品化されたら買いたいと思ったが、改めてよく見ると別にコートのデザイン自体がすごくかっこいいわけでもなかった(笑。 もちろんマスクのデザインもいい。一文字が登場するとちゃんと1号と2号になってるのもいいよね。当たり前だけど。一文字といえば最初の変身の時に「お見せしよう」もやってたし、本郷のライダーキックは蹴ったまま地面に叩きつけて突き刺すって感じなのに対して一文字がKKオーグを吹っ飛ばした感じはいわゆる「力の2号」みがあってそこもよかった。KKオーグは初の三種合成だとか言うてたけどちょっとゲルショッカーっぽいよね。死ぬと身体が溶解しちゃうのもゲルショッカーだし。
これも個人的なことだけど柄本佑も嫌いじゃないというか、デビューした頃は柄本ジュニア特に顔がいいわけでもないし二人もいて区別つかないとか言われてたと思うんだけど、だんだん佑のほうが二枚目寄りみたいな高島兄弟的な棲み分けになってきてイケメンか否か論争が起きたりして、いい役者になってきたと思う。
アクションはジャンプしたら宙返りのカットが挿入されたり戦い始めるといきなり開けた場所に移動してたりはオリジナルのノリを踏襲してて、BGMもオリジナルの流用はやるだろうと思ってたのでそこも期待通り。『レッツゴー!! ライダーキック』のイントロをリミックスしたみたいなやつも個人的に好き。
要するにシン・ウルトラマンに較べてもオリジナルからのアレンジの仕方が私の好みに合ったんだと思う。ショッカーライダー12人もライブアクションで撮ったんだけど画が使えなくてCGメインに差し替えたらしいけど、本郷と一文字がやり合うシーンとかCG部分はシン・ウルトラマンにも通じるものがあるというか、これが庵野の実写アクション演出の最終形なのか、庵野のやりたいイメージにまだCG技術が追いついてないのか、どう理解したものか微妙。個人的にはアニメに較べたらまだまだだと感じるのだが。
あと最後に本郷がアレしちゃうらしいってのもチラッと聞いてたんで期待してたんですよ。石ノ森章太郎のマンガでは本郷は死んでしまって、その前に戦ってた一文字が頭に負傷したショックで脳改造の洗脳が解けて2号ライダーになるんだけど、皆さんご存じの通りあれは藤岡弘が撮影中に負傷したという純粋なアクシデントから要請された展開であって石ノ森先生も導入するのに苦労したと思う。本郷は研究所で脳だけ生かされてて、「心を継いでくれ」とか言われた一文字は通信で本郷と感覚を共有した状態になるんだけど、一文字のプライバシーないじゃん!! と読んだ当時は衝撃を受けた。しかもいつの間にか本郷の音沙汰なくなったと思ったら100%機械で作られた身体に脳を戻してダブルライダーという。どう考えてもショッカーの技術力を超えてるじゃん!!
というのをやってくれるのかと思ったら、マスクに本郷のプラーナが宿っているのでマスクかぶってる時は一緒みたいなことだった。ラストシーンは石ノ森版そのまま。いい落としどころだと思う。でもルリ子のプラーナは別の場所に移したとかわざわざ言うてるし、本郷とルリ子との関係は恋愛じゃなく信頼だという一方で、本郷コミュ障問題は一文字とバディになる形で成長を見せているようでもあって、庵野相変わらずだなとも思った。
バルト9はずっと、オンライン予約してQRコードスキャンで発券したチケットを劇場入り口でモギリのスタッフがチェックしてボールペンで印を入れるという、最後だけアナログなシステムだったのだが、遂に入場まで会員コードQRスキャンで出来るようになってた。というかチケット発券してもチケットに印刷されてるQRをスキャンするだけなので発券するだけムダだった。
]]> 脚本の NUMBER 8 は原作第2シリーズの後半から "story director" としてクレジットされている原作の共同制作者でありその正体は担当編集者で、彼が脚本を書くというのが原作者サイドから出した映画化の条件だったという。音楽の上原ひろみ(Hiromi)は作者が以前から大ファンを公言しているアーティストでライブレポート書いたりTVで対談したりしてる。TVアニメでなく映画でというのもジャズを大音響で聴かせられるからという原作サイドの意向で、つまりこれは原作者の希望が全部通ったアニメ化だと理解している。 ジャズといってもいろいろあるわけで、原作ずっと読んでた勢として、このマンガの中で演奏されてる音楽ってどんなのか? というのが微妙にイメージしづらかったんですよ。主人公のジャズ観はとにかく「ハゲしい音楽」というもので、好きな女の子にジャズを体験させるのにコルトレーンの "Moment's Notice" を爆音で聴かせるシーンなどが現実のジャズと擦り合わせるヒントになるかと思ったのだが、主人公の演奏シーンのド迫力とは釣り合ってないというか。公式コンピレーションアルバムなども参考音源になるはずだが正直全然ピンとこない。上原ひろみもちょっとジャンル違くね? という感じだ。作中では、バンド名の "JASS" はジャズの語源にして原点みたいな意味とされているし、サブジャンルが細分化されたジャズにおいて何をやるのか? と問われた主人公らは「ジャンルが枝分かれする前のジャズの木そのもの」とか言うのだが、描写からすると明らかに、即興のソロで限界まで自分を追い込んで超絶プレーするビバップ的なやつであろうと思われる。まあもちろんそこまで綺麗に分類し切れるもんでもないですけど。
そんなわけでみんなそうだろうけど「どんな音を鳴らすのか?」が一番気になってたところ、結論から言うと個人的にはライブシーンの演出も合わせてわりと納得できる表現だった。要するに作中の描写を素直に捉えればこうなるのであって、作者の発言とかコンピ盤とか余計なものに惑わされていたな。実際上原ひろみではあるんだけど。サントラは買おう。
以下ネタバレ。
いわゆる東京編というか上京したところから始まるので、それ以前のことは回想、それも演奏中のフラッシュバックみたいな画でチラッとみせるくらいしか描かれない。師匠である由井のクセの強いキャラが好きだったのでそこは残念。あと原作単行本のボーナストラックにあるドキュメンタリー風の関係者インタビューみたいなのが挿入される。確かに原作にあるけど、純粋に映画としてみると褒められた演出ではないよなあ。
とにかく仙台編を全カットした分、雪祈と玉田の物語はしっかり描かれていて、この三人の映画になっている。玉田が最初のライブの出来に打ちのめされる話とか外せないよね! 大を中心に描かれてたらこのへんはなかったかもしれないのでよかったです。まあ大が自分の初ライブと重ねてしまうくだりはないんですけど。雪祈については音楽的な壁にぶつかって乗り越える話が必ずしも十分に描かれてたとはいえないが、最後のアレもあってある意味全体として雪祈の物語だからなあ。アオイちゃんは登場するものの(後述)再会シーンがなかったのは残念。原作では心ないことを言われて傷つくシーンが結構あるのが映画ではマイルドになってる印象はあるものの、ソーブルーの平さんに雪祈がガツンと言われるシーンはさすがにしっかりあった。その後「言いすぎたな」ってなる流れがなかったのでオファーがやや唐突な感じにはなってたけど。
そして原作との最大の違いとして、ラストのソーブルーでのライブに無理矢理退院した雪祈が駆けつけてアンコールのみ出演、左手一本で演奏するという無茶な展開になっていた。少なくとも原作のあの感じだと事故から二日後に起き上がってること自体ありえないだろとしか言えないのだが、せっかくだから原作よりすごいものを! みたいな流れで決まったようで脚本家のコメントには自分から提案した記憶がある、と。まあせっかく演奏してる中の人も三人いるのに、みたいなこともあったのかもしれないし、もしかして原作もこうするアイディアがあったのかな? と少し思ったのは、雪祈の初登場シーンで大が度肝を抜かれたのも「左手一本、低音部のみのプレーでトランペットと渡り合ってる」ていう演出だったんですよね。だから左手だけのプレーってそれに対応した演出だったのか! と一瞬思ったんだけど、先の脚本家コメントには「書いてみると「どうしてこれを原作漫画でやらなかったんだろう」という気持ちにまでなってしまいました」とあるので原作時点では考えついてなかったようだ。
穿ちすぎかもしれないけど、脚本が担当編集者なので、原作者以上に原作を知っているというか、原作を少し変えてる部分ももしかしたら打ち合わせ段階であった、マンガ本編の描写に入りきらなかった部分を拾ってるのかな? と思えるようなシーンがいくつかあったりして、上記のラスト改編もその一つかと思った次第。あと最後のライブを関係者がみんな観に来てるというのも映画っぽい趣向だけど、師匠も来てるのはなぜかその発想はなかったというか、これも原作にあってもおかしくないけどストーリーの流れ上で入れる余地がなかったから描かなかっただけじゃないかな? と思った。平さんが業界関係者に声かけまくってできるだけ席を埋めるって描写が原作にはあってアニメにはないのでどちらも整合性はあるというか。
ただ、原作ではライブ後に意識が戻った雪祈のほうから「JASSは解散」と言わせてしまった大が自分を卑怯者だと責めて酔っ払って荒れてケンカして通報されて留置場にブチ込まれ兄貴が身元引き受けに来るという最高にエモい流れがなかったのはさすがに惜しい。ライブ終わって映画の最後がそれじゃ幕引きができないから仕方ないと理解はできるが、監督も流れにうまく組み込めなくて残念と言及していた。
EDの後で大が空港から雪祈に電話してくるシーンはあって最後の最後しっかり泣かされるんですけどね。
LiSAとmarinaが共演する「Awakening Song」が公開「パチスロAngel Beats!」オリジナル書き下ろし楽曲/サミー
]]> ちょっと面白い映画ゆるキャン△の批評を見かけたので同じサイト内の記事を読んでたらアニメパチンコ座談会というのがあって、確かにそりゃ全然知らない世界で面白いなと思って読んでたら三条 アニメ化ではなく音楽の話ですが、パチンコで新曲が出ることもありますよね。最近だと『Angel Beats!』(2010)の台で、作中ロックバンドの「Girls Dead Monster」の新曲が出てました。蛍火 その曲を聴くために打ちに来る人もいますね。
安原 その曲に出会うまでにも当たりが必要ですよね。すごい商法だ(笑)。
くあド 「ガルデモ」はCDも売られていたと思いますが、漫画原作の台だとCDが出なくて、打たないと聴けないことはありますね。
本当に全く知らなかったので最初、何かの間違いじゃねえの? と思ったくらいである。ちょっと調べたら本当だったので今まで知らなかった自分の迂闊さにも驚いた。「『Angel Beats!』(2010)」というのも衝撃的でもう13年も経つのか……。その後PCゲームが出て2015年にはガルデモの新曲『Million Star』もリリースされているが、そのボーカルはmarina(as 岩沢)であって、言うまでもなく大ブレイクしてしまったLiSAの再起用は絶望的と思われていたし、だーまえこと麻枝准も早い時期にそう示唆するコメントを出していたと記憶している。それがまさか十年以上を経て再びLiSA(as ユイ)を呼んできて新曲を歌わせるとは、恐るべきはパチンコマネー。
しかも、上の座談会記事の主旨にもあることだが、すごいのはこれがただの新曲ではなく岩沢とユイの共演というアニメ本編でなしえなかった趣向を実現してしまったことである。曲名が『Awakening Song』というのもニクい。
そもそも Girls Dead Monster はギターボーカルで作詞作曲も担当する岩沢が結成したバンドであり、その岩沢が「消えて」しまった後に代わってユイが加入したのが第二期ガルデモ、という流れである。
『Answer Song』はもともとファンだった岩沢の後釜に座ったユイの、その岩沢の歌(就中、彼女の最後の曲になった『My Song』)への文字通りアンサーソングで、
だけどこのあたしじゃおこがましい そう思っちゃうよという一節がある。今もきこえるその歌声は切なくも力強く
そこまであたしに歌えないよ 遠すぎてつかめない
Ah 少しの間待ってくれないかとあり、非常にテクニカルな解釈になりますが「消えた」はずの岩沢が次の世界(?)へ向かう前の踊り場的な時空においてユイからのメッセージソングを聴いているようなイメージになっている。Ah どこかで呼ぶ声がするから
つまり、
『My Song』(岩沢)
↓
『Answer Song』(ユイ)
↓
『Last Song』(岩沢)
↓
『Awakening Song』(二人)←New!!
記事中にある通りCDが出たから良かったけど、そうでなければ聴くためにパチスロ打ちに行って、私は意志の弱さには自信があるのでそのままハマってパチンカスになっていたかもしれない。あぶないところだった。現在までのところパチンコ/パチスロというゲームそのものは微塵も面白そうだとは思っていないが、やり始めてハマった知り合いも結構いるので何かあるのだろうとは思っていて、あえてやろうとは思わないというか近づかないようにしているので未体験のままである。
]]>私の場合、Twitterから消えるとネットから消えたも同然で、つまり世界からいなくなったようなものなので、あいつ死んだのかな? と思われたら困る。もっとありそうなのは、ただそのまま忘れられる。ので生存報告しに来た。
]]> まず私に連絡したい人が万一いた場合Twitter以外に何があったかなーと考えたがAboutのページにメアド書いてあった。じゃあそれで。 本当は、いまだにIRCに常駐してるんですよ。チャンネルは「 #12人いる!」。まだ稼働してるサーバがあるのである。
2022年にもなってIRCて。と思ってSlackに移行したいなーと思ったこともあったんだけど、ワークスペースは作ったものの完全に自分用のメモと端末間でのちょっとしたデータ共有に使うだけになってる。というかすっかりそういうものだと思ってた。ちなみにSlackは無料だと最近90日間より以前のものは非表示になってしまうのでログには向かない。
あとはDiscordな。
Discord はサーバ単位のコミュニティで、原則として招待されなければ参加できないので、知らないうちにみんなDiscordに行っちゃってるのかもしれないという恐怖がある。というかたぶん実際にそうなってる。当初はDiscordってネット対戦をやるゲーマーがボイスチャット繋ぐものなんでしょ? と思ってたのでクライアントをインストールしても常時起動してなかったりしたのだが(通知が煩わしいし)、後述する『勝利の女神:NIKKE』の公式サーバがあったのでそれきっかけでちゃんと(?)使うようになった。そして実はDiscordにも、それとは別件で自分のサーバを作ってあったのだった。これは本当に作ったきり放置してあったのだが、Twitterの代わりに思いついたことをメモというか独り言として投げておくのにいいんじゃないかと思い始めている。
Twitterに関しては一応凍結解除の望みもなくはないかもしれないので待ちつつ、たぶん近いうちに副アカ的なやつを用意します。しばらくTwitterなしの生活をやってみるのもよいかと思い、実際ちょっと慣れてきてるのだが、自分がツイートしないだけでなくTLの様子がほとんどわからないのはきついね。
せっかくなので以下は近況など。
なんとなくこのブログはイベントレポートとかお題ありきの単一トピックの記事しか書かない運用になってたので(明確にそう決めてたわけではないが)、一個ずつエントリ分けようかなーとも思ったんだけど、煩わしいから今回はいいや……。
一つ前の記事は7月に早稲田松竹で観た映画の感想で、それ以降何もなかったのかというと、ドラクエⅩ夏祭り2022に参加したのでそのレポは書くつもりで実際書きかけてたのだが、最初から最後までほぼ全部ネット中継されてたので、書く意味なくね? イベントレポートとは? となってやめてしまった。私の行った1日目は堀井雄二御大が体調不良で欠席だったので、それでモチベが下がったというのもある。
それから個人的には下半期最大のイベントとして本気出すつもりでいた HEAVEN BURNS RED LIVE 2022 も出演者が例のあれに感染して延期になってしまった。振替公演は来年2月。致し方ない。
上にチラッと書いたNIKKEというゲームを始めた。「背中で魅せるガンガールRPG」とキャッチフレーズがついてるが、本当は「お尻で魅せる~」と言いたいのだろう。TPSの体で女の子が遮蔽物から身を乗り出して銃をバリバリ撃つと、その後ろ姿の尻が反動でブルブル震える、というのがゲーム体験のコンセプトアイディアで、そのあまりにも突き抜けた一点突破ネタに感動してリリースと同時に始めたらハマってしまった。尻もそうだがシナリオも意外と良くて、ソシャゲとしてのシステムも性に合っているのだと思う。
設定にある「特定部位モーフィング」の特定部位というのが尻のことで、尻揺れのON・OFFが変更できるらしい。試してないけど。
最後に、自分では毎年やりたいと思っている本年度アニソンベスト。今年は文句なくこの一曲で決まりだね。
『古見さんは、コミュ症です。』2期ED、FantasticYouthの『小喋日和』。アニメは、一発ネタかと思いきや意外と最後まで飽きずに楽しめた。
FantasticYouthは『ワールドトリガー』の3期ED『雲外憧憬』もよかったね。
どうも久しぶりすぎて調子が出ない感じだが、今回はこのへんで。
]]>で、まずは『ジョーカー』の方ですが、上記の通り私はご多分に漏れず『ダークナイト』大好き野郎なので、ヒース・レジャーのあのジョーカーの後でまたジョーカーの映画をやるってハードル高すぎでしょ、と思っていた。でもまあこれは人生に何の救いもないオッサンがジョーカーになるまでの話で、オッサンに刺さるオッサン映画だった。それはそれでアリだけど、もちろん『ダークナイト』におけるジョーカーに繋がるものではないし、バットマンにおけるジョーカー像としては後者の方がいいと思う。つまりジョーカーは自分がこうなったきっかけみたいな思い出話をしょっちゅう語るけど毎回全然違うエピソードで、全部ウソなわけです。やっぱ出自は不明じゃないとあのジョーカーは成り立たない。閑話休題。
今回のジョーカーは一緒に暮らしてる母親が昔ウェインの屋敷で働いていた人で、今もウェイン信者みたいな感じで昔の誼で生活援助を求める手紙をトーマス宛に何通も出すんだけど返事は返ってこない。ジョーカーはそれを快く思っていない。しかもジョーカーが地下鉄で射殺した酔っ払い三人がウェインエンタープライズの社員だったことでトーマスは犯人を卑怯者のピエロ呼ばわりして非難する声明を出し、それに反発した貧困層の間でピエロ=ジョーカーが英雄的にまつり上げられる。トーマス・ウェインは明確に、格差社会で貧困層のヘイトを受ける大富豪として描かれているわけで、見た目もモロに保守的な大富豪キャラ。市長選に出馬して、お前ら貧困層にとって唯一の希望が自分なのにみたいなことも言うてしまう。そして、アーサー(ジョーカー)はトーマスが母ペニーに産ませた隠し子だったという話が出てくる。おお! ジョーカーとバットマンが実の兄弟だった! これはありそうでなかったんじゃないか? アメコミは同じキャラで何十年もやってる分あらゆる試行錯誤がされてると言ってもよく(それこそトーマス・ウェインが生きててバットマンになる世界線すらある)、これもコミックで一度くらいはやってるのかもしれないけど。ところが、その話は完全に母ペニーの妄想で、自己愛性人格障害やらを患っていた母親は問題を起こしてウェイン邸をクビになっておりそれどころかアーサーは養子で、ボーイフレンドができた母親は子の虐待で逮捕されていた、というアーサー自身が全く知らなかった過去が次々に明らかになり、彼のアイデンティティはガラガラと崩壊してしまう。この畳みかけもすごい。あの発作的な笑いも文字通り神経症の発作だし、もうジョーカーになるしかないところまで徹底的に追い込んでいく。
そんなわけで最後は逮捕されたジョーカーを護送するパトカーが暴動に巻き込まれて事故を起こし、クルマからジョーカーを担ぎ出した男が路地裏でトーマス夫妻を射殺した犯人だった、という流れになる。間接的な父親殺しというにはちょっと緩いけど。
『THE BATMAN』の方は、メインヴィランがリドラーなんだけどやってることは『ダークナイト』っぽくて、リドラーってこんなだっけ? と思ってしまった。つまりバットマン映画としてモロにノーランと同じ土俵で勝負しちゃってるけど、正直勝てるわけねえよなあ、という感じ。ブルースが病的な感じなのはちょっといい。ロバート・パティンソンてハリー・ポッターに出てたのか。つまりその世代か。アクションとしてはグラップネルガンで高いとこに上がったり、ビルから飛び降りてマント広げて滑空したりとかはまんまダークナイトだし、警察署内のシーンなんかも同じような画面で、絵的に唯一おっと思ったのはバットモービル。暗闇からバックトゥザフューチャーのアレみたいな青いリアクターみたいなの光らせて出てくるとこはやった! と思ったんだけど、出てきたら普通のクルマだったので拍子抜けした。ダークナイトの軍用車みたいなバットモービルもそれはそれでいいけど、こちらはもっとマンガ風のデザインに寄せることでダークナイトを超えられる可能性があったとしたらそこだけだったのに!
いや、キャットウーマンもよかったですね。ゾーイ・クラヴィッツか。ダークナイト・ライジングのアン・ハサウェイも好きなんですけど、バットマンとイイ感じになる展開も悪くないし、あと、エロい。なんかマスクの目のとこが大きく開きすぎて鼠小僧みたいになってたけど。キャットなのに。
まあ、ダークナイトとまともに較べちゃあかんという話はこれくらいにして、トーマス・ウェインですよ。この映画では回想するシーンもほとんどないのでトーマス自身の人物像は直接は見えにくいのですが、やはりゴッサム市長選に出て殺されたことになっている。そして、リドラーによって暴かれるのは、妻マーサ(アーカム家の出!)の精神疾患というスキャンダルを選挙中にスッパ抜かれるのを恐れたトーマスが付き合いのあったマフィアのファルコーネに依頼して記者を脅迫させ、聞かないとなるや殺させた、というもの。ブルースがファルコーネに直談判しに行くと「そろそろ来ると思ってた」とアッサリその話を認める。おお、バットマンの活動する動機そのものであるところの、殺された父親が、実は悪人だった! ということでこちらもアイデンティティ全崩壊ですよ。母親が精神疾患、というくだりが直接関係ない『ジョーカー』と横滑りに対応しているのも面白い。
ところが、この話は執事のアルフレッドが否定したことでチャラになってしまう。アルフレッド曰く、家族を守るために記者を脅して口封じするようファルコーネに依頼したのは確かにトーマスの過ちだった、しかし後悔した彼は依頼を取り消そうとしたが、トーマスの弱みを握って利用しようとしたファルコーネはあえて勝手に記者を殺すところまでやってしまった、と。そりゃあいくら何でも話を綺麗にまとめようとしすぎてねえかアルフレッドさんよ、と私でなくても思うはずだが、どちらが正しいのか確証がないままファルコーネも殺されてウヤムヤになってしまう。『ジョーカー』では病院の記録やらでしっかり裏付けが取れるのとここは対照的。どう考えてもアルフレッドの証言は彼の立場的にも信用できねえだろという印象なのだが、いいんだろかこれで。あと、ファルコーネの説明では(ファルコーネに弱みを握られた)トーマスに市長になられたら困るマローニが彼を殺させたんじゃないかと示唆するのだが、アルフレッドの説では記者を謀殺した件を自ら警察に届けようとしたトーマスをファルコーネが殺させたんじゃないかという逆の話になるのもちょっと面白い。トーマスを射殺したのは基本的にはたまたま彼を襲った強盗で、ゴッサムの治安の悪さ自体が原因だからバットマンが自警活動に励むようになったわけですが、実はこの事件に黒幕がいたという話はコミックでもいろいろやってる。それを映画の中で話を二転三転させるみたいな趣向は少しいいなと思いました。
で、ラストでジョーカーの登場が予告されて、実際に2もやるみたいだけど、どうなるんだろ。