StarDust Tears

『ボーはおそれている』

早稲田松竹

 モーニングショーで観ましたが、モーニングショーだと一本しか観られないんですね。1,300円(ちょうど今月から値上がりしたので、二本立ては1,500円)だから他の劇場より安いは安いけど、早稲田松竹で観る理由は別に安いからじゃねえからな、という感じで、そもそもなんで観たのかわからなくなった。いや二本立てじゃないと観ないというのも変な話だが! わかる?

 以下ネタバレ。

 『ミッドサマー』もそうだったけど、長い尺をずっと悪夢のテンションで通すのがすごいよね。普通ホラー映画というと緊張と緩和みたいなリズムがあると思うのだが(そもそもホラー映画か? という疑問もあるが)、微妙に不安みたいな感じを維持したままずっと引っぱる。それをスウェーデンの田舎の村という一種の異界でやるのはまだしも、今回はアメリカの都会でやってる。これは前作を超えたか! と思ったのだが、後半はグダグダだったかな。ママに会いに行かなきゃいけないのに(その後は葬式が自分待ちで延期されてるのに)なかなか出発できない、というあたりがすごくリアルな悪い夢っぽい実感があってすごいと思ったのだが、森の中で劇団やってる孤児のコミュニティみたいなのが出てきたのはまたこのパターン? と思ってしまったし、作中劇のクレイアニメみたいな表現は新境地といえるかもしれないけど、実家の屋根裏部屋でB級ホラーみたいな怪物が出てきちゃったのは台無し! と思った。まあ実家パートはそれはそれでキューブリック的というか『時計仕掛けのオレンジ』みがあって迫力はあった。ていうか母親との関係をこじらせたおっさんがホアキン・フェニックスって完全に『ジョーカー』じゃん。ずっとパニックして泣き喚いてばっかだし、そんな芸風で再ブレイクしていいのかホアキン? 母子の権力勾配みたいなモチーフは萩尾望都的でもあって、そこも『ジョーカー』よりリアルでよい。

 あと完全に音楽なしのEDって久しぶりにみた気がする。演出上そうしたい場合とか作中でフィーチャーした懐メロを主題歌的に使いたい場合とかもそれはEDの途中までで、気が済んだところで後半はいかにもEDっぽい曲を流します、みたいな映画がほとんどなので、EDクレジットが長すぎて間が持たないからってのもあるだろうけど、他にも大人の事情があるのかと思っていた。

 しかし三時間も座ってると尻が痛くなるのは不可避なのだが、できるだけ尻に負担のかからない着席姿勢をもっと追求すべきかもしれない。尻ポケットに財布入れてると左右のバランスが崩れるのでよくない、とかは注意してるのだが。あと後ろの人達に邪魔だろうからあまり頭を高くして座りたくないのだが、そんなことよりも自分のケツを優先すべきだろうか。

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