StarDust Tears

『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』( / 『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』)

新宿バルト9

 前作『~おでかけシスター~』も観に行ったんだけど感想を書いていなかった。原則として劇場で観た映画は感想を書くようにしていたのだが、うまくまとまらなくて下書き中のままになっていた。

 原作では妹の当番回は二回あって『おるすばん妹』『おでかけシスター』がそれである。というか、記憶を失っていた間の妹を「かえで」、元々の妹を「花楓」と明確に別人格として扱っているので二人分ともいえる。しかし妹編のクライマックスはやはり、花楓の記憶が戻ることでそれまでの「かえで」はいなくなってしまうという『おるすばん~』のほうであって、その後の話である『おでかけ~』は、2年間引き籠もっていた不登校の中学生が進路をどうするか、という、非常に社会性の強いワンテーマの映画になっていた。それはそれで映画の構成としてシンプルで正解だし、よく出来てはいたが、青ブタシリーズの一編としてここだけ見せられるのは不思議な感じもした。ちなみにED『不可思議のカルテ』はヒロインのキャストが歌うのがお約束なのだが、『おでかけ~』のEDは『不可思議のカルテ 花楓&かえで Ver.』となっており、本当に久保ユリカがパートごとに花楓とかえでで歌い分けていて聴いただけでどっちがどこを歌っているかちゃんと区別がつくという見事な芸になっていた。これはすごかった。

 さて、では今回の『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』ですが、個人的には原作のこの巻は何度読んでもよくわからん話だと感じていた。タイトルロールの「ランドセルガール」は主人公咲太の前に何度か姿を現し、ある役割を果たすものの、その正体は不明のまま終わる。またその後の巻にもチラッと姿を現すので、これは牧之原翔子さんがいわばシリーズ第一部のキーパーソンだったのと同様、第二部を通じて鍵になるキャラクターなのだろうと考えていた。なのでこの巻の物語の中心になるのはあくまで咲太と、主にその母親との関係である。映画のプロモーションでは本作で「高校編完結」「家族の物語」という風に謳われていてなるほどと思った。私の中では高校編という区切りはあまりなくて、上記の通り翔子さんの第一部が終わってランドセルガールは第二部の始まりを告げるキャラと解釈していたので。
 一方で「家族の物語」というのは納得である。一般に、従来のライトノベルでは主人公の「親」はあまり描かれないことが多いのが特徴とされていて、高校生なのに妹と二人暮らしをしている青ブタも一見その典型であるように見える。しかし、そうなってしまった原因である妹と母親の問題がむしろメインテーマとして描かれた結果、今作が家族の物語となったわけだ。
 おさらいすると、中学でいじめを受けた妹の花楓は心因性の逆行性健忘を起こし、家族のことも忘れてしまった娘を受け入れられなかった母親も心身のバランスを崩してしまった結果、母親は入院して父親が世話をし、兄妹は親元を離れて暮らすようになった、というのがこのシリーズのバックグラウンドで起こっていた梓川家の事情である。
 今作でも最初のクライマックスはあくまで妹と母親の対面であり、そのシーンで「実は母親が咲太に一度もリアクションしていない」ことには気づきにくいという、あるジャンルの映画のようなカモフラージュの演出になっている。で、母親に咲太が見えていないことの余波のようにまた世界中の人間から咲太が認識されなくなるという思春期症候群が発症するんですが、実はそうではなくて、現象自体は全て咲太の側の問題が原因なんですね。母親が入院したのは記憶をなくして別人のようになってしまった娘の現状を拒絶したからで、でも息子を拒絶する理由はなくない? という点がまずよくわからなかったんですが、そうではなく、咲太の思春期症候群の結果として母親の中から咲太の存在は消えてしまった。そのトリガーとして久しぶりに会った母親と「一度も目が合わなかった」ことを認識してしまった事実がある、という。映画ではスッと入ってくるんだけど原作ではやはりわかりにくくないかなーと思う。ちゃんと読めてないだけだと言われればそうなんですが。
 では咲太の側にはどんな問題があるのかと言うと、要するに、母親が入院し、妹の世話をしながら自活しなければならない状況で母親の心配までしている余裕がなかった、という話であって、それは一介の高校生男子のキャパシティとして全く無理もない話だし、それ以前から母親と健全なコミュニケーションが取れていなかった、という話にしても、ハッキリいってそこまで異常な母子関係とも思えない。一度並行世界に行ってトラブルの起こらなかった場合の家族の状況を体験することで、改めて母親との関係を見直す、みたいなことでフワッとした問題がフワッと解決して終わるのだが、今までのシリーズに比べると核心となる問題の深刻さがいまいち伝わらないというか、まあ思春期の問題なんて他人から見れば大したことない話だということかもしれないし、家族がもう一度ひとつになるという着地はシリーズ開始時の状況からすると納得ではある。ラノベで息子と母親の関係がこういう形で書かれることはあまりなかったので、野心的な試みだとは思う。
 あと梓川ママ、意外と若くてちょっとイメージと違ったというか、もっと俗であざといラノベに出てくる異常に若くてかわいいママとは一線を画しているのは明らかなので、もう少し普通のおばさんのイメージで原作は読んでいるんだけど、そのラインのラノベがアニメ化すると、あれ? と思うことが多い。まあこの場合は病人でもあるので儚げに描かれているとかそういう面もあるけど。再登場した桜島ママもなんか前に出たときと雰囲気違わない? と思ったがチラッと挿入された回想シーンはその時の絵だろうから、記憶のほうが今回の印象とズレてるだけか。
 それから妹の友達であるこみちゃんこと鹿野さん(並行世界バージョン)、第二部の重要人物である赤城郁実、そして花楓の卒業式をお忍びで見にきた麻衣さんが変装でメガネをかけているなど、今回はメガネヒロインが充実していた。もちろん双葉理央もいる。メガネ。

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