トップガンやククルス・ドアンも気になるが、まずはこれ。
以下ネタバレ。
『シン・ウルトラマン』
少なくともウルトラマンに関しては庵野秀明は原理主義だろうと思ってたので、まずカラータイマーがないらしいという話を聞いてかなり意外に感じた。樋口監督のコメントでは、あれは演出上の理由で後から付け足したものであって成田亨のもともとのデザインにはなかった、といわば成田亨原理主義という別の根拠で説明しているのだが、本編を観ると、ウルトラマンを一人の宇宙人(以下作中に従い「外星人」)として描こうとした時にあまりにも機械的すぎて不自然だからというごく真っ当な理由であったように思える。それくらい、ウルトラマンを映像的にも、神々しい銀色の巨人として描き出すことを優先したのだろう。実際その成果は久しぶりに見る神のような超人のウルトラマンであり、円谷的な画でもあり、さすがというしかない。
TVで今やってるウルトラマンは正直、映像的には見劣りするなあと思ってしまうので(ちゃんと観てないからこそチラ見で画だけ観た印象はそうなる)、まあ、それは同時代のTV番組として仮面ライダーと比べた映像的なクオリティの話であって、フルCGを駆使した劇場映画である『シン』と比べちゃ気の毒ではあるが。閑話休題。
個人的にオリジナルのウルトラマンに感じていた疑問や違和感として、ハヤタはウルトラマンと一体になった後もただの科特隊のエリート隊員で、ウルトラマンになってしまったことによる変化や葛藤などがまるで感じられず、こいつは一体どういう男なのだろう? というのがわからなかったというのがある。その点、『シン』では融合した時点で神永の記憶はあるもののウルトラマンが主人格になっていると思われ、「地球人の姿に化けた外星人」に近い演出である。さらに作中かなり早い段階で神永が「ウルトラマンの男」であることは禍特対メンバーのみならず世界中にバレる。この二点はオリジナルとは大きく異なるが、ウルトラマンを語り直すにあたっては妥当な判断だと思った。
もう一点、ウルトラマンの変身に使う「ベーターカプセル」にも昔から違和感があって、つまり地球に飛来するにも身体一つ(と思われる)でやって来るくらい、生物として万能とも言える力を持つウルトラマンが、変身の際になぜあんな機械(?)を必要とするのか? というか何でも超能力で片づくウルトラマンの文明にあんな道具を作る概念がそもそもあるのか? という疑問である。(その後のシリーズにもブレスレットだの何だの色々出てくるが私の捉え方は基本的に変わらない。)
『シン』ではこのベーターカプセルの原理「ベーターシステム」そのものが作中最大のオーバーテクノロジーとして物語全体の鍵になっている。やはり庵野もそこに拘ったのかな? と考えると意外と解釈一致しているのかもしれない(笑。 つまり、「光の星」の住人も自前の能力で何でもできる神のような超常的な生物ではなく、あくまで地球より遥かに進んだ科学技術を得た外星人だったということで、ゼットンの設定もそう位置づけられる。
ゾーフィがゼットンを持ってきたというのも、元は当時の情報誌か何かに誤解に基づいて書かれた記事にあったネタらしいですが、地球人類が外宇宙の上位存在によって裁かれるというオーソドックスなSFの話型に落とし込まれている。ゼットンの描写そのものは、まさにエヴァンゲリオンを何十年も作ってきたその成果が全てフィードバックされており、これだったのか! という最後の答えを見る思いでした。「一兆度の火球」もあえてそのまま解釈して地球どころか太陽系消滅の危機だみたいなことになってたし、電気や核廃棄物を食う禍威獣はそのように作られた存在でありウルトラマンが来る契機もそれだった、と、大筋はSF的に説明してるのもわりと好き。まあ毎回言うてるけど「シン・~」ていう字面のセンスは好きじゃないし、「禍威獣」とか「禍特対」てのもちょっとどうなの? とは思うけど。
荒木村重役の田中哲司、新撰組!では松本良順だった人か。なんか見たことあるような気はしてた。龍馬伝では徳川慶喜だったし見るたびに全然違う役になってて見事なもんだ
— 上海亭主人 (@fka_shanghai) March 16, 2014
そういや古谷敏がモーションアクターやったというのはかなり大変なことじゃないかと思うのだがあまり突っ込んだ話がなくて気になっている。パンフには庵野のインタビューもなかったし、観る前は基本的にネタバレを避けてるわけで、観た瞬間から圧倒的な情報不足になるのどうにかならんかな。
しかし個人的には石原さとみも長澤まさみも好みじゃないので、もっといいヒロインいねえのかなあとは思う。浜辺美波は好きなのでシン・仮面ライダーには期待できるかしら。
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