StarDust Tears

『最後の決闘裁判』

早稲田松竹

 世渡り下手な田舎の騎士がマット・デイモンで、デキる代官としてうまいこと出世するのがアダム・ドライバーだった。なんとなく逆かと思ってた。

 予告をみて気になって、リドリー・スコット監督だし間違いないだろうと思って観に行った。マット・デイモンの嫁をアダム・ドライバーがレイプして、訴えられて、決闘裁判でケリをつけることになった、という事件を三者の視点でそれぞれ描く、いわゆる羅生門スタイルの映画。といっても各視点であからさまに事実関係が食い違う部分は少なくて、それぞれの主観によって都合の悪い部分や重要だと思ってない部分を省略するだけで全然違う話になるという、映画の編集そのものを見ているようでそれも面白かった。

 最初のマット・デイモン視点では、持参金として受け取るはずだった妻のお気に入りの土地を、義父が領主のアランソン伯ピエールに地代のカタとして取られてしまい、しかもその土地が親友だったアダム・ドライバーに下げ渡されて、納得できず国王に訴えたことで完全に伯を敵に回してしまい、先祖代々受け継いできた要塞長官の職も父から引き継げずそれもアダム・ドライバーに取られてしまう。土地のことで揉めて国王に直訴しようとする田舎騎士、って『王子と乞食』のマイルス・ヘンドンみたいで、このへんでは断然マット・デイモンに同情したくなるのだが……。

 アダム・ドライバーは、美人すぎる上に教養もあるマット・デイモンの嫁マルグリットに一目惚れして、自分の女癖の悪さも棚に上げて真実の愛に目覚めた! みたいになってるしょーもない男である。こいつはマルグリットと相思相愛だと思い込んでいて、レイプしておいて「貴婦人だから嫌がってるフリをしてただけです」とか、ただの言い訳じゃなく本気でそう思ってるという。なので、下級聖職者の資格があるので教会裁判を受けることにすれば厳罰は免れる、みたいな法廷戦術を提案されても「それじゃ俺の名誉はどうなるんだよ!」と拒み、本当に心底自分は悪くないと思ってるのでマット・デイモンとの全面対決を選ぶ。

 マルグリット視点では、マット・デイモンはそもそも結婚式の当日に持参金の土地のことで揉めたのも嫁である自分のことはどうでもよくて土地目当てかよ……みたいに見えてるし、跡継ぎ息子を産ませることしか考えてないしセックスも下手だし、軍人バカで領地経営も適当だし、とダメ亭主っぷりが明らかになる。アダム・ドライバーにレイプされたことを打ち明けた際も、「あいつは俺にとって災厄になることしかしない!」と自分に対してされたことに怒ってるのであって、妻のためではない。実際、この時代の法では姦通は「男性の財産に対する権利侵害」であって被害者は女性ではなくその夫なのだと説明される。そう、レイプの真偽がどう以前に、この時代の女性の扱いが酷すぎるだろ! というのがマルグリットから見た話なんですね。これが映画として評価された大きなポイントでしょう。姑も「実は自分も若い頃レイプされたことあるけど夫の立場を考えて我慢して生きてきた」とか言い出すし、アダム・ドライバーのことを「イイ男だけどチャラいよねー」とか噂してた友達はわざわざそれを法廷に証言するし、いわゆる「女の敵は女」問題もてんこ盛りです。強姦された、と公に訴えるだけで「危険な噂」の標的になるという特大のリスクがあるわけです。これは現代でもあるけど。裁判自体も「性交で絶頂しないと妊娠しないのは科学的事実」とか最初から最後までセクハラしかない。そして敗訴した場合、女性の男性に対する偽証罪の刑罰は「裸で吊されて火炙り」だと告げられ、それを知らなかったマルグリットはとうとう夫に対してキレる。

 前評判で大まかな流れは知っていたので、自分は必ずしもフェミニズム映画を観たいわけではないんだよな、と思ってたんですが、そういうの抜きにして前二者の視点でのストーリーをひっくり返す展開として鮮やかすぎる。リドリー・スコットって、本当にやりたいテーマを控えめにしても娯楽色を前面に出してバランスを取る、みたいな作風だと思ってたけど、今回はテーマの部分を出し切って傑作になった感じですかね。今の時代でこのテーマだからこそそれで成立するという判断かもしれないけど。表面的というか古典的なストーリーとして見ると、最後は陵辱された妻のために夫が決闘に勝ってハッピーエンド、のはずなんだけどマルグリットは全っ然嬉しそうな顔をしてないという。もうちょっとハッピーエンドっぽく演出するプランもありえたと思うんだけど、第三章のパワーによってこうなったと納得せざるをえない結末だった。

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