StarDust Tears

『スパイダーマン:スパイダーバース』

早稲田松竹

以下ネタバレ。

 新しい(『アルティメット~』)スパイダーマンのことはほとんど知らなかったんですが、主人公マイルスの父親が警察官なのに対して、父の弟である叔父アーロンは自由人ぽい感じで、真面目一方な父親より話のわかる叔父のほうに懐いている、ていうのは少年ものの一つのパターンだと思いますが、その叔父が実はヴィランだったというのはアメコミ的にはこれも定番ではあるんだけど、主人公のロールモデルとして「堅物の父」「自由な叔父」のバランスがテーマの一つでもあるのに、叔父のほうが否定されちゃう展開でいいの!? とビックリした。
 でもまあ叔父さんが実は極悪人だったというよりは、ちょっと反社的な仕事をやってましたくらいのニュアンスで、「お前に尊敬されたかったのに……」とか言いながら死んでいくし、人は殺してないしセーフというか、ヒーローとヴィランはアメコミでは往還可能な関係ではあるし、実際コミックではヒーローになる展開もあるみたいだし、警官の父との対照で、自由に生きるのも楽じゃないみたいな感じなのか。
 で、叔父が息を引き取った直後に駆けつけた父親に目撃されてマイルス(=スパイダーマン)が犯人と誤解されるんだけど、これもアメコミあるある展開だなーと思った。ていうかスパイダーマンあるあるか。マイルスが元祖スパイダーマンのピーター・パーカーを目の前で死なせてしまい、自分が能力を使ったせいだと責任を感じて「お前らに僕の気持ちがわかるか!」て言うと、他のアースから来たスパイダーマン達が全員「わかる」、「俺は(死なせたのは)ベン叔父さんだった」「私は父」「私は親友」て口々に言うんだけど、つまり設定は変わっても身内を死なせてしまうことで例の「大いなる責任」を学ばされるというオリジンのプロットは反復されているんだなあと、スパイダーマンという物語の強さを見た気がしました。そう考えると殺人犯と誤解されるのも意識して反復してるのかなと思ったが、よく考えるとグリーンゴブリンの二代目がスパイダーマンを父親の仇として狙うのは必ずしも誤解とは言えないし、JJJがスパイダーマンを目の敵にしてるのもそういう意味では誤解ではないか。
 ともかく、警官の父に叔父殺しの犯人だと思われるという展開はコミックだったら相当長く引っぱるネタだと思うんだけど、映画ではプラウラーの正体が叔父だったことが判明→死亡の時点で話が相当煮詰まった段階なので、その後特に引っぱる流れもなくラストシーンで誤解は解けている。少しもったいない気はするが、これだけ盛り沢山な構成の映画でじゃあどうすればよかったのかと言われると何も言えない。このレベルで不満な点を飲み込まされてしまう映画もなかなかないな。

 あと、キングピンさんは伝統的に異様な体型に描かれるけどあくまで怪力で格闘技が強いだけのタダの人間、という、MARVELには珍しいタイプのヴィランなのだが、最後、次元の狭間みたいなところでスパイダーマンと一対一で互角に戦ってるのはどういう強さなんだよw 粒子加速器まで作って並行世界と接続しようとした理由も「事故死した妻子を取り戻すため」だし、なんか憎めない奴だと思いました。
 そのクライマックスの次元断層みたいなシーンも、設定としてはありきたりだけど、一人ずつ「落下」して元の世界に帰って行くところとか、演出上の空間の見せ方というか映像作りのディテールが巧いなーと思いました。異次元に繋がってる空間なんてそのへんのジャパンのアニメにもいくらでも出てくるけど、ちゃんと演出すると全然違うんだなと。

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