StarDust Tears

『若おかみは小学生!』(主に映画)

早稲田松竹

 原作はKindleでセールになってた1巻だけ読了。全20巻なのか。講談社青い鳥文庫。なんとなく、コミカライズ版を中心にヒットしたのかなと思ってたけどそうじゃないのかな? よくわからん。
 「原作が大長編シリーズ」「TVアニメもあるがそれとは別に映画版が一本の長編として制作された」といった点でこの映画の位置づけは『銀河鉄道999』のそれに近いのではないかと思われる。そして評価もそれに匹敵する名作かもしれない。

 原作1巻では、小学生の主人公おっこが突然、祖母の経営する旅館に引き取られて若おかみ目指して修業する、というプロットを実現するための設定として、両親が交通事故死したところから話が始まる。生前祖母の知り合いだったと思しき幽霊の「ウリ坊」も、旅館ものジャンルにおける「座敷わらし」のポジションであると同時に常におっこの話し相手になり旅館のこともいろいろ教えてくれる、物語のガイド役として配置されている。1巻で登場する宿泊客、作家の幸水先生とその息子の美少年あかね、ライバル旅館の娘ピンふりこと真月などのキャラクターもいかにも定番で、ジャンルものとしての設定がカチっとハマったのが長い人気シリーズになった要因だろうと思われる。というのが1巻だけ読んだ私の感想だった。なんとなく1巻で一区切りというか一度完結しているのかと思っていたがそうではなく、ウリ坊の正体はまだ明らかにならず最後は「つづく」で次巻に引いている。

 原作では、幽霊であるウリ坊の姿がおっこにしか見えないのは、両親が亡くなった交通事故の際に車に同乗していたおっこも「死にかけた」ため幽霊に波長が合ったから、という説明になっている。さらにおっこが死ななかったのは実は事故の瞬間にウリ坊が取り憑いて助けたからであることが明かされる。上記の通りこれらは少なくともこの時点では物語の導入に必要な設定として書かれたものだと思うが、映画は思い切りそこにフォーカスしてテーマにしている。
 つまり、おっこは本来は事故で死ぬはずだったのが助かった、「死の世界に近づいてしまった子」として描かれる。母親を亡くしたばかりの神田あかねはおっこに近い境遇のキャラとして登場するが、彼がふとした瞬間に母の死を実感してしまい泣き出すのに対して、おっこが両親の死を悲しんで泣くシーンはここでは描かれない。両親と暮らしている夢を見て「なんだ、やっぱり生きてたんだ」と言ったりするが、目が覚めてそれが夢だったことに気づいて悲しむといった描写はないのである。映画ではおっこが事故の瞬間を思い出して過呼吸のようなパニック症状を起こす場面が二度あるが、一度目はやはり宿泊客である水領様に買い物に連れ出されるドライブのシーン。物理的に自動車事故の瞬間に近いシチュエーションを体験することで記憶がフラッシュバックする。しかしそれでもおっこは「やっぱり両親は生きてるとしか思えない」という意味のことを言う。彼女はまだ両親の死を実感できていないというだけでなく、より積極的に「両親の存在を実感」しているのであり、彼女自身が死者に近づいているという演出になっている。
 そのおっこが生者の側に戻ってくるのが映画の着地点になるが、まず幽霊との関係においてはだんだん彼らの姿が見えなくなり声も聞こえなくなる、という形でその兆候が現れる。児童文学として見ればこれはイマジナリーフレンドであった彼らが必要とされなくなったためいなくなる、という風に理解できる。そして決定的な契機は、これも旅館に泊まる客によって訪れる。祖母である女将の峰子は宿帳の名前を見て不審を覚え、保存してあった新聞記事を確認してその事実に気づく、とここで「現実」サイドの演出はおっこの視点を離れるのもすごい。しかしその客=木瀬が語る交通事故の体験談を聞いて、その「死なせてしまった相手夫婦の助かった一人娘」がまさに自分であることに気づいてしまうおっこ。これも長編シリーズでのストーリー展開として、交通事故のエピソードがあればその事故のもう一方の当事者を登場させるのは物語の膨らませ方として一つの定番の手法と言っていい。それでも最初は単に病み上がりで食事制限のあるお客を料理の工夫でもてなす、という旅館の一エピソードと見せておいてからのサスペンス展開にも全くシナリオ上の隙がないし(そういう映画ではなかったはずなのに)、さすがの女将も配慮してその客は(真月の)秋好旅館に頼もうとする、そこへ「温泉は神様から授かった恵みだから、人は何者でも拒まず受け入れる」という花の湯温泉のポリシーを内面化したおっこが戻ってきて、若おかみとして、客として木瀬を再び受け入れる。ここで木瀬自身にも「君が許してくれても俺自身がつらいんだ」と言わせているのも完璧な脚本の目配りである。このセリフがあるのとないのとでは全く違う。その直前、おっこが「もう一度車に轢かれそうになる」ように見える画があるのも見逃せない。
 そして最後は、祭で舞う神楽によって幽霊たちをあの世に送るという形での別れ。

 交通事故で両親を亡くして「死」を身近に見てしまったJSの不安定な心理世界と、温泉旅館の若おかみのマインドセット形成を、渾然、重層的に描き切った恐るべき映画。むしろ子供に見せていいのか? と思うくらいだが、ここまでやられると原作がどうなのかも気になるよね。最後まで読んでみたいと思う。

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