原作はKindleでセールになった時に買って読んでいた。というかセールになったのは映画になったからそのプロモーションのためで(たぶん)、めぼしい小説がセールになると買って読むので、映画を観る頃には原作読んだしなってなってることが多いけど、それは偶然ではないことに最近気づいた(笑。 同時上映の『若おかみは小学生!』も同じ流れで原作1巻を読んでたし。
『ペンギン・ハイウェイ』(映画、および原作)
森見登美彦はもともとラノベ出身ではなく最初からファイン文芸(そんな言葉はない)側の作家だが(直木賞候補にもなってるし)、なぜかアニメ化される作品が多い。それはなぜなのか、この映画を観ると理由の一つがわかる気がする。
森見登美彦の持ち味は「面倒くさい主人公の一人称語り」であり、一連の京都ものではダメ大学生キャラがそれだった。本作のアオヤマ君は「こまっしゃくれた天才肌の男子小学生」であり、ある意味で近い路線を継承しつつ新境地を開いたともいえるだろう。
このアニメのキーポイントは、アオヤマ君の同級生の女の子ハマモトさんのキャラデザだと思う。ハマモトさんはアオヤマ君のチェスの好敵手であり、彼が知的に対等と認める、将来はえらくなると自認するアオヤマ君をして自分よりえらいかもしれないと尊敬する相手である。ところがアオヤマ君はおっぱいのでかい歯科衛生士のお姉さんに夢中なので他の女は全く眼中になく、なのでアオヤマ君視点の叙述からはハマモトさんの可愛げみたいなものは全く伝わってこない。ラノベ脳で読んでるとハマモトさんは美少女のイメージにならない、というべきか。
ハマモトさんは肌の色がたいへん白いし、髪は明るい栗色なので、ヨーロッパの国から来た女の子のように見える。というのがハマモトさんの外見に関する記述の全て。まあ目立つ女の子なんだろうなというのは伝わるか。僅かに、ガキ大将のスズキ君がハマモトさんを憎からず思っている(それもウチダ君が言及することでアオヤマ君は初めて知る)のでやはりモテるんだろうなとわかる。逆にハマモトさんはアオヤマ君をかなり意識しているのだがもちろんアオヤマ視点ではそれが全くわからない。
おわかりだろうか。つまりラノベでいうと鈍感ラブコメ主人公の視点なのである(笑。 しかしラノベならば主人公が気づいていないはずのヒロインの感情の機微が読者には伝わるように書かれているのに対し、ファイン文芸(そんな言葉はない)であるこの小説では誤魔化しのないガチの鈍感主観描写なのでアオヤマ君が認識していないことは一切書かれない。一種の叙述トリックのように機能している。
それがアニメではハマモトさんのヒロインっぷりが登場した瞬間に一目瞭然であるし、それどころか原作ではいまいち存在感のないウチダ君の声が釘宮でいきなり全部持って行かれそうになる(笑。 キャストに関していうと例によってメインキャストが声優でない役者だが、アオヤマ君の北香那は誰だか全然知らないがよかったと思う。お姉さんの蒼井優も問題ない。蒼井優は必ずしも好きな女優ではないが声に特徴ないというか声だけ聴いて蒼井優とわかるレベルではないのでそれがよかったのかも。アオヤマ君のパパが西島秀俊で、これが意外と大事な役なのだが、いいシーンもあるけど気になるシーンもあるという感じで、あまりアニメ向きの声ではないなと思った。他はアオヤマ君のママが能登で妹が久野ちゃんなど過剰に豪華である。
話は逸れたが、映画はアオヤマ君の視点を離れて全てが画になった時点で原作の答え合わせのような趣がある一方で、一人称語りの醍醐味は失われてるともいえるわけで、そのバランスが森見作品の難しさかな。でもこの映画はアオヤマ君のモノローグが特に多いわけでもないわりにはうまく表現できてるかと。
おっぱいおっぱい。
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