『遠すぎた橋』のブルーレイが出てきたので久しぶりに観たらどうしても読みたくなって原作を借りてきて読んだ。原作の『遥かなる橋』はハヤカワからハードカバーが1975年、文庫も80年に出たっきりで入手困難。せめて電子版を出してくれないものか。前作の『史上最大の作戦』は95年にNF文庫版が復刊したのでそれを持ってるんだけど。
コーネリアス・ライアン『遙かなる橋』と映画『遠すぎた橋』
これは以前にも書いたことがあるけど原題は "A Bridge Too Far" なのだが訳は修辞的な『遥かなる橋』よりも散文的な『遠すぎた橋』のほうが正解で、これは「(作戦目標の)橋が遠すぎた」という将軍のコメントだからである。
なおも地図をじっと見つめながらブラウニング中将はそれに答えた。「われわれとしては、四日間は持ちこたえられます」。さらに彼はこう付け加えた。「それにしても、閣下、あの橋まで行くのは遠過ぎますな」作戦会議における発言だが、映画では作戦終了後のコメントになっているので過去形で「遠すぎた」というわけ。
だから『遥かなる~』ではないでしょ、とずっと思ってたのだが、なんと訳者(八木勇)自身が巻末解説で、
この、より正確には「遠過ぎる橋」とでも訳すべき本の内容については、と書いていた。より正確には~とでも訳すべき、ってまさに今自分が訳してるんだからそう訳出しろよ! とツッコまざるをえないのだが、なんでわかっててこの書名にしたんだろうか。書名は正確さより修辞優先という判断なのか? そもそも「遙か」って字が「遙」「遥」の二種類あってなまじ似てるもんだから私も厳密に使い分けてなくて表記揺れが発生するのが困る。Google検索なら両方拾ってくれるけど、ツイートの過去ログとか検索する際に。昔「遥めぐみ」というAV女優がいて(以下略。
ちなみに史上最大の作戦の原題は "The Longest Day" でありこちらはロンメルの言葉が出典である。
「まちがいなく、ラング、上陸作戦の最初の二四時間がすべてを決するだろう……ドイツの運命はその結果如何によって決まる……連合軍にとっても、われわれにとっても、その日こそはもっとも長い一日となるだろう」どちらも巻頭にエピグラフとして掲げられてるんだけど、共に作戦前の、当事者のコメントから象徴的な一句を引いてるセンスが素晴らしい。「一番長い日」は完全に常套句として定着してるわけだしね。
正確には、コーネリアス・ライアンのWWⅡものは三部作であり、『ヒトラー最後の戦闘』(原題"The Last Battle")が二作目。タイトルの通りベルリン陥落までの話なので、内容の時系列としては『遥かなる橋』のほうが先になる。では『遥かなる~』は何の話? かというと、1944年9月後半に実施されたマーケット・ガーデン作戦を書いたもの。「史上最大の空挺作戦」と副題にある通り大規模で派手な作戦ではあるんだけど、目的がオランダ解放と重要ではあるんだけど中途半端(笑)なのと、最終的に失敗に終わってるので盛り上がりも微妙なのであった。
ではなんで私が映画『遠すぎた橋』が好きなのかというと、もちろん『史上最大の作戦』が好きでその続編だからでもあるが、こっちの監督がリチャード・アッテンボローで脚本がウィリアム・ゴールドマンと、この二人が両方好きだからです。まあリチャード・アッテンボローはどっちかつーと俳優として好きで、俺の中では『大脱走』のビッグXなんですけど、ジジイになってからは『34丁目の奇跡』でサンタクロースの役をやってたので一般的にはそっちのイメージでしょうか。あれはクリスマスにTV放送される映画の定番になるかと思ってたけど最近観ないね。もうそんな時代じゃないか。いつも『ニューヨーク東8番街の奇跡』とごっちゃになるんだけど、そっちはUFOが出てくる映画です。ていうかジュラシック・パークのハモンド社長役のほうがメジャーであることに最近気づいた。閑話休題。
そのリチャード・アッテンボローは監督としてはこれが三作目くらいで、あの『史上最大の作戦』の続編として期待されてる超大作にそんな若手を抜擢するなんてあちらの映画界の英断はすごいって和田誠か誰かが書いてたけど、確かにどういう経緯だったのかは気になる。ちなみにリチャード・アッテンボローは本作にノンクレジットで出演もしていて、爆撃された精神病院から焼け出されて徘徊してる患者の役(笑。 つい最近Wikipediaで知った。
で、この映画で描かれるマーケット・ガーデン作戦なんですけど、前提としてこの年(1944年)6月にノルマンディーに上陸した連合軍はものすごい勢いでフランスを解放しながら東進、9月にはドイツ国境近くまで迫っていたと。ところがあまりにも進軍が早すぎて補給が追いつかない。この時点で本来の作戦計画より半年以上早く進んじゃってたそうで、港湾施設もフランス西岸のしか使えないから補給線がクソ長い。この作戦の直前にアントワープを確保するもそこに入港するまでの深い入り江の両岸をドイツに押さえられてるので入れないなどグダグダな展開に。
そこで最高司令官のアイゼンハワーは主に南方のパットンと北方のモントゴメリーの軍団で多正面でジワジワ進撃しましょうという方針を採っていたんですが、モントゴメリーはパットンに対する競争意識も強かったらしく、「年内に戦争を終わらせてクリスマスは故郷で祝おうぜ!」という作戦計画をブチ挙げる。いわゆるジークフリート線を越えて東に進むのではなく、一度オランダに入ってからルール地方の工業地帯を押さえてドイツの継戦能力を絶つ、という計画で、具体的にはオランダ国境付近の五つの橋梁を空挺部隊の降下で同時に確保し、そこを48時間以内に陸上の機甲師団が突破してオランダ、アーネム(アーンヘム)まで進む。そうそう原作と映画で表記揺れがいろいろあるけど、翻訳が古いのもあって基本的に映画のほうが妥当な感じがする。モントゴメリーも人名としては「モンゴメリー」が定着してると思うけどモントゴメリー元帥に関しては今もこっちが使われてるのかな? ニックネームが「モンティ」だし。人名に関しては特定の人だけ別の表記が定着しちゃうことはたまにあって、ジャズの Dizzy Gillespie は発音はどう考えてもギレスピーだし普通はそう表記されるけどディジー・ガレスピーだけ「ガレスピー」で定着している。閑話休題。
映画では「反対していたアイゼンハワーも政治的圧力でこの作戦を承認した」みたいな前説になってるけど、原作を読むとダイナミックな作戦案にアイゼンハワーもテンション上がって思わず賛成しちゃったみたいなノリだった(笑。 まあもちろん他にも、発射されたら技術的に迎撃不可能なV2ロケットの発射基地がオランダ国内にあったとか、ここまで空挺作戦は何度も計画されては中止になって空挺戦力が長い間遊んでたのが問題になってたとか、いろいろ理由はあるわけです。
ドイツ側もオランダが攻められるとは全然思ってなくて、降下作戦が始まっても「このへん何も重要なものないのになんで??」みたいなリアクションで、「さては俺様の身柄を押さえるためか!」って勘違いする自意識過剰な元帥がいたり、ところがたまたま再編待ちの機甲師団が待機してるのがこのすぐ近所で、連合軍はそのことを知らないとか、前作『史上最大の作戦』でもロンメル元帥が「天気悪いしまさかこのタイミングで来ねえだろ」と休暇を取って帰国した(もちろん連合軍はそんなこと知らない)まさにその時に上陸作戦が開始したりとか、両軍の思惑が外れてありえないことがいろいろ起こるのがムチャクチャ面白い。
連合軍にも慎重派の参謀将校がいて航空偵察で写真を撮りまくって作戦直前にやっと敵戦車の撮影に成功して、やっぱり機甲戦力がいるので作戦中止しましょう! と報告するんだけど、司令部は「空気読めよ……」みたいな感じで全然相手にされない。軍医がやって来て「疲れてるようだから休養が必要だ」と診断され後方に送られてしまうという。いかにもウィリアム・ゴールドマン脚本っぽい! と思ったが原作を読むとそのまま実話だった(笑。 今回もエピソードの宝庫なので映画みたいな挿話が山ほど出てくる。
上記のノルマンディー上陸作戦が悪天候で決行されたのも、夜間作戦なので月齢などにもタイミングが制約されるし大兵力を沿岸で待機させとくのも長くは無理なのでもうやるしかなかった、みたいな感じで、作戦というのは事前のある段階をすぎると中止や延期が極めて難しくなる。本作のマーケット・ガーデン作戦もそのことが決定的に祟った結果になったわけである。
それからオランダ国内のレジスタンスは高度に組織されていてかなりイイ仕事をしてたっぽいのだが、連合軍との連携が全然取れてなくて、というか英国軍が全くレジスタンスの情報を重視してなくて活かせてないという状況だったようだ。ここへ来るまで仏レジスタンスのクオリティが低かったこと、以前にオランダの組織にもドイツの二重スパイが入ってたのが発覚してたこと、連絡将校のカウンターパートの士官が戦死しちゃってて人的なコネクションも切れてたこと、などの原因もあるようだが、そもそも英国人の気質として外国人からの忠告を聞こうとしなかった! というのがオランダ側の主張のようである。オランダ軍最高司令官の立場にあったベルナルト(ベルンハルト)殿下(王女の旦那)が自らレジスタンスの報告資料を携えてモントゴメリー元帥に会いに来るシーンがあるが、その冷淡な態度に相当アタマに来たらしくいろいろ書き残している。なにしろ祖国の解放間近ということでオランダ国内は士気大いに上がっているので連合軍をサポートしようと必死なわけである。殿下が「この国を攻撃する作戦ならオランダ陸大で全て研究済みだ!」と豪語してるのも面白い。ちなみにこの時ベルナルト殿下は亡命先の英国から飛行機を自ら操縦してきた、とあって気になったのだが、この人はお忍びで旅客機パイロットやってた今の国王の祖父だった(笑。 軍歴はなかったとのことだが飛行機好きの血筋らしい。
そんなわけで、橋を確保する=川をどう渡るかが焦点なのに渡し船の定期便があることも(現地人なら誰でも知ってるのに)連合軍は把握してなかった、とか、そもそも準備期間が短すぎてすごく雑な情報しかなかった模様。それでいてすごく楽観的だった。
以上が主な敗因です。
って、映画はここから始まるんだけど(笑。
将軍で悲観的だったのは自由ポーランド軍のソサボフスキー准将くらい。もちろんポーランドはとっくに独ソに分割されて消滅してるので自由ポーランドとは亡命政府のことであり、英米中心の連合軍では外様というかお荷物扱い。本人も「ポーランド人でしかも頭がキレるとなれば少数派に決まってる」とか自虐ジョークを言う。原作には直接これにあたるセリフはない。ソサボフスキーの部隊は第二次降下の予定だったのが悪天候で遅れに遅れて結局手遅れになってから参戦した感じで活躍はしないんだけれども、この人は本当に優秀な軍人だったっぽくて気になる。「祖国が消滅して祖国解放のために転戦してる軍」ていうのがグッとくるんだよね。しかも戦後はヤルタ会談で何やかんやあって結果ポーランドは共産化してしまい、自由ポーランドの軍人は市民権を剥奪されてソサボフスキーも帰国できなくなり英国で労働者として死んだとか。酷すぎる。世が世ならアイゼンハワーみたいに戦争の英雄として大統領になってもおかしくなかったかもしれないのに。
ともかくそのソサボフスキー役はジーン・ハックマンなんだけど、なんでポーランド人がジーン・ハックマン? と思って本人の写真を見ると雰囲気がちょっと似てる(笑。 単に口髭を生やしてるからじゃねえかという説もあるが、とにかくこの発見で気になってあらためてキャストをチェックすると、みんな写真が残っているせいかわりと外見も重視してキャスティングされてる気がするんですよね。ギャビン准将のライアン・オニールなんかわりと似てる気がする。もっともギャビン准将は『史上最大の作戦』にも登場しててそっちはロバート・ライアンだった。逆にショーン・コネリーは『史上最大~』ではフラナガン一等兵だったのが今回はアーカート少将で、すごい出世ぶりである(階級的な意味で)。まあオールスター映画だから、ホロックス中将役のジャッカルことエドワード・フォックスもわりと似てるんじゃね? と思いきやWikipediaによると当初ロジャー・ムーアにオファーされてたそうで、全然違うやんけ! となる。同じく、テル・ホルスト夫人は連合軍の負傷者を収容するのに自宅を開放した人で、死にかけた兵士の手を握って聖書を読んでやる印象的なシーンがあり、女性がほとんど登場しないこの映画では唯一に近いヒロイン的存在だが(原作にはオランダレジスタンスの女の子とか出てくるのだが)、なんと戦時中アーネムに住んでたというオードリー・ヘプバーンにオファーされたとか。実現してれば話題性もあったろうけど条件が折り合わず、この役はリヴ・ウルマンになった。テル・ホルスト夫人は無名の一民間人ではあるが、戦後著者の取材を受けているので原作本に写真が載っている。で、リヴ・ウルマンはかなりその雰囲気に近いのである(笑。 このパターンからするとスターを配役できなかったところは似た役者で再現度を上げようとしたのかもしれない。
写真が残っているどころか、ヴァンデルール中佐(演:マイケル・ケイン)はこの映画の軍事監修として参加してるし、ブラウニング中将役のダーク・ボガードに至っては自分が演じたブラウニング中将本人と交友があったとか。他にもスタッフがこの作戦に参加してた実地経験者だとか、そういう映画なんですね。
で、作戦が始まってからも大変で、アーカート少将(ショーン・コネリー)の師団が最終目標のアーネムに一番近い、連合軍から見て「奥」の橋を目標に降下するんだけど、もともと降下に適した地域がないという理由で降下地点が橋から遠い、ジープや装甲車両との合流に失敗、さらに通信機も作動しなくてどことも連絡が取れない、など初手からグダグダ。バラバラになった師団をまとめようとしてるうちにアーカート少将自身が行方不明になって丸二日間司令部と連絡がつかなかったという。ドイツ軍制圧下の市街で部下のラスベリ准将が負傷して民家に匿われるんだけど、窓の外にドイツ兵が姿を現してアーカート少将自身が拳銃で撃った、ていうシーンはさすがに作ってるだろと思ったが、原作を読むとなんとこれもそのまま実話(笑。 結局、フロスト中佐(アンソニー・ホプキンス)の部隊が橋の北側だけ確保するんだけど孤立したまま四日間以上防戦した末に、援軍がこないまま力尽きて降伏。第二次の空輸で投下した補給物資もほとんどドイツ軍の勢力圏に行ってしまい一割も届かなかった、とか、そもそも先にも書いたけど悪天候で第二次降下部隊が出発できないとか、もう全部の巡り合わせがダメな方に回ってる感じである。
連絡がとれないので本部のブラウニング中将はほとんど最後まで前線の窮状を把握してなかった様子で、この映画では主にブラウニング中将が悪いみたいになってるけど、実際はここまで書いてきた通り計画段階から全部ダメなのであって(笑、必ずしも中将だけの責任ではない。ただ映画のラストシーン、夜間の渡河作戦で撤退してきたアーカート少将が司令部に報告に来ると「濡れた制服を着替えたらどうか?」とか言われて、いや自分らがどんだけ苦労したかこのまま見てもらいたいと言ってたらだいぶ待たせた上で身綺麗なブラウニング中将が現れてイラッとした、と、この場面はアーカート少将の回想をもとにしているのでどうしても恨み節になる。さらに、実際は作戦会議で言われた例のセリフ「あの橋は遠すぎたな」(これもアーカート少将の回顧録が出典)をここで言い放つのでショーン・コネリーもブチ切れるという、映画のオチに使われたのが不幸だった。
ドイツ軍のモーデル元帥は反攻の時のため橋を死守せよという命令を出すんだけど現地指揮官のビトリッヒ中将は独断で橋梁爆破を命じて、工兵士官が爆破スイッチ(プランジャー)を押し込むんだけど爆発しない、という戦争映画のお約束みたいな場面もある。これも実話で、レジスタンスの破壊工作の一環で、ある大学生が爆薬のケーブルを切断してたためじゃないかと言われているが、その学生は市街に突入した連合軍の道案内をしていてドイツ軍に射殺されてしまったので真相は永久に不明になってしまった、と原作の註にあった。あとレジスタンスが鉄道爆破などの工作をした報復として、自首しなければ拘束している市民代表を十人処刑する、とかドイツ軍が宣言を出す話が出てきて、そういうことが普通に行われていたらしい。無茶な。
ジュリアン・クック少佐の渡河作戦が映画の見せ場の一つで、橋の両側から攻撃しないと埒が明かないというので対岸がすぐドイツ軍の陣地になってるところをボートで強引に渡河するんだけど、そんなムチャをやれるのは君しかいない、と連隊長が直々に指名するクック少佐がロバート・レッドフォード。いかにもオールスター映画っぽいオイシイ役である。実際、撮影期間が短いのにギャラがクソ高いのを知ったショーン・コネリーが怒ったという話があるとか。この作戦はさすがに敵の目の前なので夜間に渡河する予定が、ボートの輸送が遅れたので日中にやる羽目になる。「渡河は昼間だ」と言い渡されたクック少佐は一瞬絶句してから「やりますよ」と顔色を変えずに言う、クソ度胸を示す場面なのだが、実はここが脚色だった。原作にはボートがなかなか届かないという話はあるが、夜間の予定が日中にズレ込んだという話は出てこない。これは映画の方がもっともらしい気がするが、何が本当なのかよくわからん!
他に映画っぽいというか作ったっぽいエピソードとしては、ドーハン軍曹(コルレオーネ長男ことジェームス・カーン)がどう見ても死んでるとしか思えない親友の大尉を担いできて、順番待ちしろという軍医少佐を銃で脅して先に治療させ、それから自首しますと言うたら軍医はペナルティとして憲兵を呼んで10秒だけ拘束させた、というイイ話。これもほぼ実話だった。助かったその大尉の夫人が著者に語ったという。
それからなぜかいつも雨傘を持っている士官が死ぬ間際に、上官が「ツッコミ待ちだと思ってあえて今まで訊かなかったがその傘は何なんだ?」と問うと、「自分はよく合言葉を忘れるので英国人だとわかってもらうためです。雨傘を持ち歩くのは英国人だけですからね!」みたいなこと言って死ぬのだが、これはさすがにウィリアム・ゴールドマンが作っただろ! と思ったら元ネタになった話が原作にちゃんとあった。爆撃の中を傘を差して歩いてる少佐の目撃談というのがあって、氏名も分かってたのだが戦後なかなか本人が見つからず、やっと接触できた本人から取れたコメントが「合言葉を忘れるので~」だったという。つまり彼は死んでなかったわけだが、傘を差して爆撃避け、というエピソードは映画以上にウィリアム・ゴールドマンっぽくて素晴らしい(笑。
元神戸人 返信
スウェーデン駐在日本陸軍武官の小野寺少将がポーランド情報部からマーケット・ガーデン作戦の情報を仕入れてドイツに事前通報した。そのお陰でドイツは機甲部隊をアルンヘムに配置して連合軍を撃退できた‼️という裏話を聞きました。