StarDust Tears

『クリード 炎の宿敵』

 新宿ピカデリー。

 最近、早稲田松竹にかかりそうな映画はそっちで観ればいいかーと思ってしまって観に行かないという悪癖があるのだが、なんとか行ってきたぞ。ちなみに前作クリードは初日に観た上に早稲田松竹でもう一回観た。
 以下ネタバレあり。

 シリーズ中でも特にバカ映画の悪名高いあの『ロッキー4』のシークエルとは思えない、いろんな要素を手堅くまとめた映画だと思った。

 ロッキーとドラゴの再会シーンも、趣向としてはベタだけど、やりすぎずシブくて良いシーンになっている。ドルフ・ラングレンの芝居も予想よりずっとよかった。突然、一人でレストランを訪ねてきたドラゴの顔を見ても「あんたか」としか言わないロッキーのリアクション。店に飾ってある写真に「いい写真だな」「おれの試合がない」と絡むドラゴ。ロッキーはここでも「あんたのはない」とだけ返すのだが、敵地ソ連での試合だったから満足に写真が残っていないのか、後のシーンで言及があるようにしんどい試合だったから気持ち的に飾りたくなかったのか、もう一言くらいあってもいいところだがロッキーは語らない。『~5』、『~ファイナル』、とシリーズは続いたとはいえ、現役最後の大勝負でありボクサー生命に致命傷――本人いわく「一生消えない傷」を受けた試合はドラゴ戦だったわけである。

 一作の中で同じ相手と2回試合するのは実はロッキー的にはレアで『~3』だけである。周囲に煽られて、身内の反対を押し切って試合するというパターンは踏襲していて、ロッキーも母のメアリアンも「父親の仇討ち」というような動機を否定して「自分自身の戦う理由があるのか?」てなことを問うんだけれども、そこは別にいいんじゃねえのかなあ、と個人的には思った。最初の試合に帯同しなかったロッキーが次の試合でセコンドにつくのも単純に仲直りしたからみたいに見えてしまい、どこで彼の意見が変わったのかわかりにくいように思う。このへんの印象はあと何回か観ると変わってくるのかもしれないが。早稲田松竹を待とう(笑。

 ロッキーはドラゴを「憎悪の塊」とネガティブに評価するけれども、観ているとドラゴ父子の側にも感情移入してしまう作りになっていて、「祝勝会」にイワンの元嫁=ヴィクターの母親が現れるシーンはいろんな意味ですごい。ブリジット・ニールセンよく連れてきたな! てとこももちろん含めて(笑。 その母親が、試合で劣勢に立った息子を見てもしかして母親らしい感情を見せるのか......? と思わせておいてみたいな流れも巧いし、母が去った空席を見たヴィクターもまた「自分自身の戦い」に戻るという演出もアツい。そして最後は明らかにアドニスが圧勝の流れになって、この試合どう着地するんだろ? と思ったら父ドラゴがタオルを投入するという。ロッキーがアポロとドラゴの試合を止められず見殺しにしてしまった、という「投げられなかったタオル」がこの形で回収されるとは! 前の試合と同じ肋骨にダメージを受けたアドニスを見てロッキーとデュークがアイコンタクトで「止めるべきか?」やりとりするシーンもあって、作劇上ここで試合放棄はありえないんだけど、ボクシングには永遠につきまとう問題、まして実際に作中の試合で死人を出しているシリーズとして避けられない問題を扱ったことは評価したい。本当は最初の試合でロッキーがセコンドにいて早めにタオルを投げるべきなんだけど、ドラマ的にそれはないので。

 前作でもそうだったけど、アドニスが感情的になった時に言うた暴言を「お前に言われたことを考えてみた」とちゃんと受け止めて返しにくる。そしてそれが和解の契機になるという。口下手だが物静かによく考える男が年をとったロッキーだ。そんなロッキーが、『~5』でも『~ファイナル』でも和解してた息子とまたしても疎遠になってるというのが、人生のままならなさを感じさせる。合わない親子というのはあるし、当人がそれをよしとしているなら別にいいと思うが、少なくともロッキーにとってはそうではない。結局、息子とはあまりにも人間のタイプが違うということなんだろうけど、こうも繰り返し描かれるのはスタローンにとってよほどこだわらずにいられない何かなのだろう。その息子にも子供ができておりここにも「父と子」が反復されている。

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