StarDust Tears

将棋と文学シンポジウム 一日目

http://www3.u-toyama.ac.jp/kotani/shogi/
板橋区立文化会館、大会議室。

 yomoyomoさんの日記で知って、行けそうだったので行ってみた。
 紀要がPDFで読めます。

 朝一で出かけるなんて久しぶりだったので起きられるか不安だったが(寒いし)、どうにか起床、10時から16時までフル参戦してしまった。
 事前受付は300人までとなっており、大入満員というほどではないにせよそこそこ人は入っていた。明日のほうが芥川賞作家とかいるから人が集まるのかしら。
 なにげに将棋関連のリアルイベントって全然参加したことがなかったので、明日登壇する田丸昇九段がお客として来てるのを発見してテンション上がる。他、『将棋世界』誌の名物(?)編集長である田名後氏も取材に来ていたし、観戦記者の君島俊介氏もいた模様。
 プロ棋士を直接目撃したのは、羽生が大学に講演で来た時に見たくらいか。余裕があるうちにタイトル戦の現地観戦も一度行ってみるかな......。どうせなら応援したい棋士が登場した時に、とか言うてるとなかなか機会がないのだが。閑話休題。

 一日目は、将棋と文学というよりも、メディアとしての新聞・雑誌そしてインターネットが時代によってプロの将棋界とどう関わり、そしてファン層の形成にどう影響してきたかという流れで構成されていた。のだと思う。
 将棋ファンが狭義の「指す将」=アマチュアプレーヤーのみだった状況から「観る将棋ファン」へ裾野が広がったように、文学も当事者である文学者から始まって娯楽として読む読者を広く獲得してきたパラレルの関係にある、という指摘があったが、逆に今は文藝誌は作家志望者しか読んでないとか言われてるし文学はプレーヤーのみの状況に逆行、縮退してるんじゃね? と思った。
 「観る将」の登場に至る歴史は、初期の将棋雑誌が専ら将棋そのものの研究解説記事に占められていたのが、棋士のエッセイや作家(小説家)の起用によって文芸読み物としての要素で必ずしも棋力向上を目的としない読者を増やし、また観戦記も手順の解説が全てだったところに棋士の食事の量で形勢を占うといった描写が人間としての棋士の個性に注目される画期となったという。専門家にとっての将棋が道場などで教えるもの=「稽古事」から、新聞棋戦の登場によって棋士同士の対局を見せる=「興行」へ変わったという東京大学瀬尾祐一氏の見立てはなるほどいい着眼だと思う。

 将棋と文学という観点では、『将棋世界』創刊初期に寄稿あるいはそこで言及される作家が探偵小説作家ばかりではないか、そこに何らかの意味はあるのか、という質疑応答における指摘に、詰将棋の合理性を称揚するエッセイなどもあるのでロジックによる謎解きの芸術という点でミステリに通じるのではないかという回答だったのは気になった。重鎮である菊池寛が将棋にハマったせいで文壇全体に将棋ブームが波及したという風に理解していたので特にミステリがと考えたことはなかったが、確かに作家の顔ぶれはそう見える。乱歩は本当に将棋が弱かったらしいけどね(笑。 資料のエッセイも作家の盤外戦を面白おかしく書いたもので、大概ヘボ将棋だったようだ。

 しかし今日の白眉はなんといっても、マンガ『将棋めし』作者松本渚先生と、将棋棋士の食事とおやつの現管理人であるおがちゃんこと将棋めし研究家の小笠原輝氏との対談。主人公峠なゆたが「順位戦で大ポカした時の夕食がうどんだった」とゲンの悪さを気にするシーンは佐藤康光が竜王戦で△8四銀の大ポカを指した時の注文がうどんだったのが元ネタではないか、佐藤はこのあと名人になり、なゆたも玉座を奪取している、など小笠原氏の異常にマニアックな深読みに閉口する松本先生(笑。 あらゆる食事エピソードが挙がる都度「第○期○○戦の第何局ですね」と即座に出てくる。陣屋名物・裏メニューの陣屋カレーが誕生したのは米長が初めて陣屋で対局した際のリクエストによるのではないか、といったトリビアもすごい。が、私が一番感動したのは、峠なゆたの兄弟子・杜谷憲司が前作の『盤上の詰みと罰』にも名前だけ登場していると指摘した上で「B級1組の2位で八段ということはA級から陥落してきたとしか考えられない。さらに大井門下・21歳とあるので、後になゆたの兄弟子=峠門下になるのは「師匠を変えた」かつ「21歳でA級陥落」といえばモデルは加藤一二三しかいない!」という完璧なロジックで指摘したくだり。すごい! 『盤詰み』は未読なのだが将棋めしに繋がってたんですね。松本先生いわく、杜谷は元真剣師の白河(将棋めしに登場)と対になるキャラとして考えていたので中学生棋士、と半ばは肯定しつつ、師匠については峠八段の設定がその時点ではなかったからと説明していた。将棋めし初稿は杜谷を主人公に考えていたそうで、掲載誌フラッパーの意向で女性棋士を主人公にするにあたり峠なゆた誕生、という順番だったとのこと。
 それから松本先生の話では、棋譜は作中対局の展開や必要なら戦型の指定、描く局面を伝えた上で監修の棋士に丸投げだという。将棋めしの監修は広瀬なのだがフラッパー最新号で監修の名義が「広瀬竜王」になったと我が事のように自慢していた。それも棋王戦挑決の直後に依頼して、竜王戦の対局2日前に上がってきたとか言ってたので、素人考えでは棋譜創作ってけっこうな負担になりそうだし、タイトルホルダーにやらせる仕事じゃないのでは......? と感じたが、先崎九段だったか鈴木八段だったか「先手後手両方自分で指せるんだからぜんぜん楽」みたいなこと言ってた気もする。

 追記。その小笠原氏自身が、将棋めしというのは畢竟、ゴシップ的な興味であり品のよくないことである、棋士の側がそんな見られ方を不本意とするのは当然だ、と言い切っていたのは印象に残った。

 他にへーと思ったのは、『江戸の名人』などの著者でもある故・越智信義氏の残した資料は大阪商業大学に越智信義コレクションとして所蔵されてるんだそうです。知らなかった。

 明日も行きます。

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